家・出産・GHQ

この本の冒頭付近、32ページに次のような文章がある。

確かにその登場人物達は、戦後的な状況の中に生きている。たとえば皇族ですら病院で出産するようになった今や想像しにくいが、かつての日本では、よほどの異常分娩以外、子供は家で生むのが当然だった。そうした習慣に変化が生じるのは戦後で、六〇年代には新生児の半数が、六五年には八〇%が医療施設で生まれている。これは実はGHQ占領政策の成果だった。GHQは産婆制度の解体にこだわった。それは病院での出産こそ衛生的で近代的だというイデオロギーをまとって現れた政策だったが、実は家制度の解体を視野に入れたものだった。
産婆の手で出産する場合、母の存在は不可欠である。産婆の登場はまさに出産そのもののタイミングであり、その前後は出産経験のある母が嫁を介助する。母にとってそれは家の世継ぎを無事取り上げる仕事であり、そうした出産を経由して家制度は再生産され続けて来た。だからこそGHQは産婆制度を切り崩す必要があると考えた。
そして案の定、病院出産が日常的になるにつれ、家の呪縛は薄れ、核家族化が進む。【以下略】

これは、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』について論じた江藤淳と、それについて論じた加藤典洋と、それについて論じた大塚英志について論じた箇所に出てくる文章で、「その登場人物」とは『なんとなく、クリスタル』の登場人物のことだ。
原発をテーマにした本の中で、『なんとなく、クリスタル』について語られるというのは奇妙な感じがするが、なぜだか不思議と一連の話題として受け止めてしまうような書き方がなされている。こういう文章のマジックは以前は好きではなかったが、最近はあまり抵抗なく楽しめるようになった。
一見無関係のように思われる事象がうまく関係付けられるのをみるのは楽しいもので、上で引用した箇所は特に鮮やかだと思ったのだが、少し間をおいてみると、ちょっとした疑問が沸いてきた。
日本の出産事情の歴史についてはほとんど何も知らないので、GHQが産婆制度を解体したという話も初耳だったのだが、これはその筋ではわりと一般的な共通了解事のようだ。ざっと検索してみたところ、いくつかの記事でこの話題を扱っているのがわかった。

ただ、GHQが家制度の解体を視野に入れて産婆制度を解体した、というような主張は他では見かけることができなかった。そこで、次のような疑問が沸いてきたわけだ。

  1. GHQは本当に家制度の解体を視野に入れて、あるいは家制度を解体するために必要だと考えて、産婆制度を解体したのか? 「病院での出産こそ衛生的で近代的だというイデオロギー」こそがGHQの政策の原動力であって、そこには隠された真相などなかったと考えてはいけないのか?
  2. 仮にGHQにそのような意図があったとして、産婆制度の解体と家制度の解体の間に直接の因果関係はあるのか? たとえば「両者はともに日本の経済水準の向上の結果だ」というような別の共通因による説明の余地はないのか?
  3. そもそも、産婆制度は家制度の再生産にどの程度寄与していたのか?

上の引用文をよく読めば、奇妙な書き方がなされていることに気づく人もいるだろう。それは「母」と「嫁」が対になっていることだ。常識的に考えればこの文脈で「母」と対になるのは「娘」だろうし、「嫁」と対になるのは「姑」だろう。では、なぜこういう捩れが生じたのか? これも疑問だ。
そこでふと思い出したのは、他家に嫁いだ女性が出産時に一時的に実家に戻るという風習のことだ。このような習慣が日本中でみられたものなのか、あるいはごく限られた地域のものなのかは知らない。しかし、少なくとも嫁入り婚を前提とした家制度において産婆制度がそれを再生産したというストーリーに対するノイズとなる風習であることは間違いない。もしかすると、上で指摘した「母-娘」関係と「姑-嫁」関係の捩れにも何か関係があるのかもしれない。
……と、立ち止まって考えているとなかなか先に進まない。この本を買ったのは、某初代科学技術庁長官*1と某7代目長官*2の「原子力の平和利用」を目指した暗躍ぶりが書かれていることを期待したからだが、まだそこまで読んでいない。
何についても言えることだが、立ち止まって考えるべき事柄は多く、立ち止まっている余裕は少ない。残念なことではあるが、先に進むことにしよう。

*1:どうでもいいが、この人物は甲賀三郎の『支倉事件』の主要登場人物のモデルでもある。

*2:どうでもいいが、この人物の在任中に「S-Fマガジン」が創刊されたので、創刊号に祝辞を寄せている。