ないものはないということはない

昨日、某所で以前書いたないものはない - 一本足の蛸について言及しているのを読んだのだが、今そのサイトを見に行くとその文章は削除されていた。何かまずいことでも書いてあったのだろうか?
その文章を読んだのは出先だったので、後でじっくり再読しようと思っていて、あまりきちんと読み込んではいないのだが、確か二重否定のふたつの用法を引き合いに出して「ないものはない」を分析するという内容だった。参考のため、二重否定 (言語学) - Wikipedia緩叙法 - Wikipediaにリンクしておく。
言語学の勉強をちゃんとやったことがなく、否定呼応とか緩叙法という用語すら知らなかったくらいなので、二重否定の構文がもつ多義性から「ないものはない」のふたつの意味を説明するというアプローチにきちんと反論することはできない。そのかわりに、ないものはない - 一本足の蛸でははっきり示していなかった私見を述べておくことにする。
日本語の「ない」は「ある」の対義語であり、「ある」が「存在する」「所在する」などの意味で用いられるように、「ない」は「存在しない」「所在しない」などの意味で用いられる。「この店にはないものはない」というのは「この店には所在しないものは存在しない」という意味だが、「いくら探してもないものはない」のほうは「いくら探しても所在しないものは所在しない」または「いくら探しても存在しないものは存在しない」という意味だ。
こう考えると、「ないものはない」の多義性は「ない」という語の多義性によって説明できる。簡単でしょ?
全然関係ないが、昔、無学祖元という偉いお坊さんがいたそうだ。「無学」というから学識がないと謙遜しているのかと思えばそうではなくて、何でも知っているからこれ以上学ぶべきことがないという意味だ、という話をどこかで聞いた。同じ「無学」が正反対の意味になりえるというのは面白いことだ。

追記(2011/08/17)

冒頭で言及した「某所」とは「I don't know nothing」問題 - あの頃の僕らは胸を痛めてブギーポップなんて読んでたのこと。