選択肢が多すぎると新しい出会いが少なくなる

異形にされた人たち (河出文庫)

異形にされた人たち (河出文庫)

先日、近所の小さな書店に立ち寄った際に、ふとタイトルが目に留まって手に取った。いったいどういうジャンルの本なのか、さっぱりわからない。だが面白そうだ。
ぱらぱらとページを繰ってみてタイトルの意味がわかった。なるほど、このような人々のことを「異形にされた人たち」と特徴づけるのか。この発想はなかった。
そこで本を買い、一気に読んだ。
面白かった。
これまで、この種の話題を扱った本はほとんど読んだことがなく、作者についても何も知らなかった。この本との出合いは全くの偶然だ。
で、考えた。
この本は、近所にある大型書店にも置いてある。その棚の前を何度も通り過ぎたことがある。しかし、目に留まらなかった。本が多すぎるのだ。
ネット書店なら、もっと多くの本がある。現在、正規に流通している本なら、ほとんど何でも買うことができる。古書も扱っているネット書店なら、新刊で流通していない本も買える。選択肢の多さは街中の小さな書店とは比べ物にならない。
だが、大型書店やネット書店では、自分がもともと関心のあるジャンル以外に目を向けることはほとんどない。別に誰も妨げはしないのだが、自分で自分の関心に枠をはめて保守的になってしまう。「読むべき本はいくらでもあるのに、なぜわざわざ新天地を開拓しないといけないのかね?」というわけだ。
いや、保守的なのがいけないというわけではない。別に問題ない。特に異議申し立てすることでもない。ところで、放射性物質って拡散したら増殖するというケッタイな性質があるんですか?
……何を書いているのかわからなくなった。もう寝ます。

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