内と外

昨日、Twitterでこんなことをつぶやいた。

何を考えてこんなことを書いたのかといえば、たぶん特に何も考えてはいなかっただろうと思うのだが、強いて理屈をつければ、発想の逆転とか、物事の見方を変えてみることの大切さを訴えるとともに被災地へエールを送りたかったのだ、ということになるかもしれない。
なお、言うまでもないが、エールというのは声援のことであり、上面発酵麦酒ではない。
さて、「堤外地」について少し説明しておこう。これは土木用語で、河川の堤防の外にある土地のことを指している。堤防の「外」というのは、家や畑がある側のことだと思われがちだが、実は逆で、河川敷のほうが「外」とされている。まあ、河川敷にも家や畑がある場合があるが、多くの場合は河川法第24条違反だ。

堤防によって洪水氾濫から守られている住居や農地のある側を堤内地,堤防に挟まれて水が流れている側を堤外地と呼びます。昔、日本の低平地では、輪中堤によって洪水という外敵から守られているという感覚があり、自分の住んでいるところを堤防の内側と考えていました。これが、堤内地、堤外地という呼び方に結びついたものです。

ふと、昔読んだ本のことを思い出してしまった。

笑わない数学者 (講談社ノベルス)

笑わない数学者 (講談社ノベルス)

や、1996年の本か……。はるか昔、人類滅亡前のことだ。この4年後の1999年7の月に空から恐怖の大王がパラソルに乗ってやってきて、アンゴルモアの大王を蘇らせ、二人でパラソル食べちゃって、恐怖の大王はおうちに帰れなくなり、仕方なくみどりの窓口マルス券を発行してもらったことなど、いまや誰も覚えていないだろう。
いやぁ、懐かしいなぁ。
懐かしいなぁ。
なつかしい……なぁ……
なつ……か……しい…………(溶暗)