えいえんはあるよ? ここにあるよ?
- 作者: 牧野知弘
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2011/02/01
- メディア: 新書
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この本の基調にあるのは、「土地はなくならない」という主張だ。たとえば、次の箇所*1を見てみよう。
建物は劣化して最後にはなくなるが、土地はなくならない。私がこの本で繰り返し説いてきたことです。どんなに優れた工業製品でも製品には寿命があります。
土地は基本的に劣化しません。農地などで何年も繰り返し同じ作物を育てていると、だんだん作物が育たなくなるのでしばらく休ませる必要があると聞きますが、それは土地が劣化しているというよりも、土地の持つ価値の一部が実現できなくなっているだけなのです。数年もすると、地力が回復して同じ作物が収穫できるようになるというのは、土地が再生可能であり、永遠の存在であることの証左です。
ちょっと揚げ足をとってみる。
「土地はなくならない」という主張は少なくともふたつの意味を含んでいる。ひとつは、土地が物理的に存在し続けるということで、もうひとつは土地の価値が劣化せずに持続するということだ。
前者の意味でいえば、むろん土地はなくならないとは言えない。巨大な隕石が地球にぶつかって地球がこなごなになってしまえば、その地表面も原型を保っていられなくなる。土地を構成していた物質は存続しうるが、宇宙にちらばった塵を見て「土地は永遠の存在だ」などと言う人はいないだろう。
もちろん、こんなのは単なる可能性だけの話で、蓋然性を加味した「現実的な」議論ではない。いま生きている人、いや、将来の人類全体をみても、地球に隕石が衝突して破壊されるような事態に遭遇するような確率は著しく小さいだろう。「永遠の存在」とは人間にとってのそれであり、文字通りの意味で受け止めるのは揚げ足取りというものだ。だから「ちょっと揚げ足をとってみる」と断っておいた。
次はもうちょっと地に足のついた話をしよう。
人間のスケールで物事を考えた場合、「土地はなくならない」の第一の意味については、まあ妥当だと言えるだろうが、第二の意味についてはどうか。
引用文中では連作障がい*2に言及しているが、土地の持つ価値の一部が実現できなくなる事情はほかにもいろいろある。そして、いつでも数年程度で機能が回復できるわけではない。たとえば草戸千軒町は1673年に土地の持つ価値の一部が実現できなくなってから300年以上経つが、未だにその価値が回復する兆しはない。これなど、人間のスケールでいえば「土地がなくなったも同然」*3ではないだろうか。
草戸千軒町の例を出すまでもなく、より現代的で大規模な例があるではないか、と言う人がいるかもしれない。だが、現段階ではまだその事例について「土地がなくなったも同然」と言えるかどうかは不明だ。30年後を待ちたい。
なお、公平を期するために、『なぜ、町の不動産屋はつぶれないのか』は奥付によれば2011年2月10日に発行された本だということを書き添えておく。