夢のヴァーチャルショッピング

初夢とはいつみる夢のことなのか。
うろ覚えの知識では、正月二日の夜にみる夢のことだが、初夢 - Wikipediaによれば、ほかに大晦日から元日にかけての夜にみる夢という説と、元日から二日にかけてみる夢という説があるそうだ。
ともあれ、初夢というのは夜にみる夢のことであり、白昼にみる夢は初夢とは言わないようだ。ちなみに「白昼夢」という言葉があるが、これは目がさめているときにみる妄想のたぐいを指す言葉であり、昼か夜かは問わない。
前置きが長くなった。
今日は寝正月を決め込んで、家から一歩も外に出ずに、雑煮を食べては寝て、おせちを食べては寝て、ククレカレーを食べようと思ったらなかったのでボンカレーゴールドを食べて寝ていたのだが、午後4時過ぎに寝ているときにこんな夢をみた。新年に入って最初にみた夢かどうかはわからないが、たぶん起きてからも記憶に残っている夢としては新年最初だと思うので、記録に遺しておくこととする。「残」「遺」の使い分けはこれでいいのかどうか、やや不安だ。
夢のなかで、架空のデパートが目の前に建っている。5階建てくらいの建物だ。それぞれの階には食品、衣料品などが売られている。ふつうのデパートと違うのは、各売り場に陳列されているのは本物の商品ではなくて、商品の見かけだけを模倣した見本だということだ。なぜ、そんな模造品を陳列しているかといえば、そこが架空のデパートだからに他ならない。
知覚の上では、そこは本物のデパートによく似ている。しかし、細部をよく見るとどうも質感が違う。薄っぺらで、張りぼてのように見える。架空のデパートを本物らしくみせるための作り込みが甘いと言わざるをえない。だが、肝腎なのは商品の品揃えだ。エレベーターに乗って贈答品コーナーのある階へと向かう。
贈答品コーナーにはさまざまな商品が並んでいる。本物のデパートでも贈答品コーナーには本物の商品ではなくて見本が陳列されていることが多いので、この架空のデパートもその点では大きな違いがない。ただ、決済方法は違っている。気に入った商品を手にとってレジを通過すると、商品情報が夢の外へと送られ、現実世界の銀行口座から引き落としされるというシステムになっている。だから、安易に商品を選ぶと目がさめたときに大変なことになる。慎重に選ばなければ。
商品を見定める作業をしながら、この架空のデパートについて思いを巡らせる。これはよくできたシステムだと思う。何より、架空のデパートだから、実店舗にかかる諸経費が不要だ。また、ふつうの通販やオンラインショッピングサイトとは違って、三次元で商品を見渡すことができる。煩雑な検索の手間がかからず、架空のデパート内を歩き回って商品を探せばいい。実店舗では歩き疲れることがあるが、この架空のデパートは夢の中にあり、実際には歩いていないのだから、疲れることはない。
いいことづくめのようだが、一つ疑問が湧いてきた。この架空のデパートは夢を利用したシステムだ。しかし、夢というのは特定のシステムとは無関係に勝手にみるものだから、たまたま同じ架空のデパートの夢をみることが原理的には考えられる。架空のデパートで商品を買ったあと目がさめたときに決済が終わっていて後は商品が配送されるのを待つだけだと考えていても、実は現実と直結していないただの夢をみただけでいつまで経っても商品が届かないということはないだろうか?
これは、現実そっくりの夢を現実と見分けることは可能か、という問いに似ている。哲学者にとっては悩ましい問いかもしれないが、実際問題としては、夢はそのうちさめるが現実はそのまま継続するという違いがあるため、夢と現実を区別することはそう難しくはない。
一方、夢の中の架空のデパートの問いは少し違っている。いま夢をみているという認識はきちんと持っていて、違っているのはその夢の中でした買い物が現実でも有効なのかどうかを夢からさめる前に見分けることができるかどうか、というのが問題の焦点なのだ。なぜ夢からさめる前に見分ける必要があるのかといえば、どうせ夢だからと思って気前よく買い物をしてから目がさめて、現実に莫大な借金を抱えてしまってから後悔しても取り返しがつかないからだ。この問いは哲学的な問いではなくて、実生活に直接関わる問いなのだ。
……と、そんなことを考えて七転八倒しているうちに、何となく目がさめてしまった。まだ商品選択が終わっていなかったので、たぶん預金残高は変わっていないと思う。