今年最初に読んだ本

奥付によれば、これは去年11月10日に出た本だが、その存在を知ったのは年末のこと。戸田山和久教授の本は見かけ次第買うことにしている*1ので、すぐに購入し、すぐに読み始めて、すぐに最終章近くまで読み進めたのだが、最後の数ページだけ年を越してしまい、昨日読み終えた。従って、正しくは「今年最初に読み終えた本」ということになる。
この本のオビの背表紙に当たる部分には、「ニセ科学にダマされないために」と書かれている。既に新刊コーナーから既刊本の棚に移動していたので、まず背表紙が目に入った。そこで、よくある疑似科学批判本かと思ったのだが、そうではなかった。いや、そうではなかったというのは言い過ぎかもしれない。疑似科学批判の要素が皆無というわけではないからだ。だが、疑似科学批判はこの本の主題ではない。
「はじめに」と題された冒頭の文章で、この本の構成と趣旨が簡潔に述べられているので、引用しておこう。なお、原文中のローマ数字は漢数字に置き換えたことをお断りしておく。

第一部は基礎編です。理論や仮説、検証や反証など、科学の教科書では解説されていないような「科学を語るための概念」を取り上げて、その意味をじっくり考えていきます。
第二部は、応用・実践編として、原発事故など科学・技術がもたらしたリスクや、日常生活に大きな影響をもたらすトピックを俎上にのせ、市民が、科学や技術のあり方をきちんと判断し、正しく批判するためにはどうしたらよいかを検討します。これを通じて、そもそも、科学者ではない「素人」がなぜ科学リテラシーを身につけなければならないのかも明らかにしていきたいと思います。

第一部の内容もなかなか面白い。確かに科学の教科書では解説されていない事柄が説明されている。しかし、それらの多くは科学哲学の教科書には載っているし、特に「哲学」の看板を掲げていなくても、疑似科学批判本でも解説されていることが多い。「科学的に考えるための練習問題」が設けられているので、単に読み流すのはもったいないが、さほど独創的な内容というわけでもない。
より重要なのは第二部のほうで、新書レベルの入門書でここまで踏み込んだ内容の本をほかには知らない。おまけに、昨年の原発事故で一躍話題となった単位「シーベルト」の解説つきだ。「シーベルト」はもちろん例示に過ぎず本題ではないのだが、これ一つ知っただけでテレビや新聞の報道の捉え方が違ってくる。非常にお得な本だ。
閑話休題
第二部で特に興味を惹かれたのは、安全と安心の違いについて論じた箇所だ。「安全・安心」とセットにする用法は昔はなかったように記憶しているが、最近では非常にありふれたものとなっている。たいていの場合はそのまま受け流してしまうが、たまには「安全と安心は違うだろう。安直にセットにしてしまっていいのだろうか?」と思うこともある。そこから、「安全とは客観的にみてリスクが限りなくゼロに近い状態のことだが、安心とは客観的な状態にかかわらず事態をどう受け止めるかという、個々人の心の持ちようの問題だ」という考えに至ることはたやすい。
だが、戸田山氏は「安心」は心の問題ではない、と主張する。

安全は科学で決着のつく理性的問題、安心は心・感情の問題で非合理、という二分法で、はたしていいのでしょうか?
【略】
安全というのは今、目の前にあるもののことですが、安心は、今だけの問題ではなく、その安全が将来にわたって確保されるかどうか、科学的に不確実なところがある相手とずっとうまくやっていけるのか、というシステムに対する信頼性の問題なのです。
【略】
科学・技術に「安心」を要求するということは、心のもちよう、情緒的で主観的な態度ではありません。科学・技術が安心できるものかという問題は、十分合理的で科学的・学問的に議論できることがらなのです。

ここで説明されている「安心」の意味は、この語の通常の用法を分析することから出てくるものではないように思われる。むしろ、「安全・安心」というひとつのフレーズに異なる二つの相が含まれていると考えるべきではないだろうか? あるいは「短期的安全性」「長期的安全性」のような区分*2を行ったうえで、前者よりも後者のほうがより安心との関わりが大きい、というふうに論じることも可能だろう。
だが、これはフレーゲに向かって「あなたの"Sinn"と"Bedeutung"の用法はちょっとずれていませんか?」と言うようなもので、瑣末なことだ。より重要なのは、戸田山氏の用法による「安心」は、科学・技術の専門家と市民の双方に関わる問題だということだ。つまり、「安心」は、科学と市民を繋ぐキーワードとなっている。
この本の物理的な分量からみれば、第二部は第一部の半分ほどしかない。だが、先に述べたとおり、私見では第二部のほうが第一部よりも重要である。また、この本では科学について多くのことが語られ、市民については簡単に素描されている程度だが、科学を重くみて市民を軽くみているのではないのは明らかだ。『「科学的思考」のレッスン』は科学論の本であると同時に市民論の本でもある。より正確にいえば、「市民にとっての科学」と「科学に立ち向かう市民」についての本だ。そう考えると、第二部の後に、市民について主題的に論じた第三部が欲しかったのだが、さすがに新書にそこまで求めるのは無理か。ついでにもう一つないものねだりをすると、いちおう科学の一つとされているが、実はトランス・サイエンスな問題を扱っている保全生態学について、科学哲学者の立場から論じてもらいたかったとも思う。え、そんな話題なら『もうダマされないための「科学」講義』を読めばいい、って? いや、そっちはもう読んでいる*3ので……。

*1:逆にいえば、見かけなければ探してまで買うことはない。今、調べてみると、最近出た本(共著)で『応用哲学を学ぶ人のために』があるが、まだ見かけたことがない。そのうち見かけたら買うことにしようと思っている。

*2:これでは単に時間的対比に過ぎないという不満があるかもしれない。「直接安全性」「安全担保性」というのは造語臭が過ぎるだろうか?

*3:ただし、全部通読したわけではない。