「「デフレの正体」の正体」の正体

円高の正体 (光文社新書)

円高の正体 (光文社新書)

まとめ

円高の正体』の178ページから180ページにかけての議論では『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』(以下、単に『デフレの正体』と表記)のトークン因果言明をタイプ因果言明と取り違えており、『デフレの正体』批判としては妥当ではない。

本文

円高の正体』を読んだきっかけは、[書評]円高の正体(安達誠司): 極東ブログに興味をそそられる一節があったからだ。

なにより重要なことは、日本の円高という現象がデフレの別相であることも明らかにしている点だ。その意味では本書の書名は「デフレの正体」と言ってもよいだろう。その書名をもって広く読まれた別の書籍の主張(人口減少によるとする主張)が間違っていることも示されている。

この書評には一箇所不適切なところがある。『デフレの正体』は日本のデフレが人口減少によると主張している本ではない。『デフレの正体』が重視しているのは生産年齢人口の減少*1だ。これは単に評者のミスだと思われるが、もし『円高の正体』に由来するミスなのだとすれば、かなり酷い話だ。それを確かめてみようと思い、『円高の正体』を手に取った次第。
……さすがに『円高の正体』では「生産年齢」の4文字を落とすようなミスはなかった。同書の「デフレの正体」の正体という節には次のように書かれている。

さて、デフレは人々の生活にあまりにも悪い影響を及ぼすものですから、現代の日本のデフレの原因を誤った方向から捉えている説もあります。
その中でも最近目立っているのが、「日本のデフレは、生産年齢人口の減少によって引き起こされている」という説です。この説を唱える『デフレの正体』(藻谷浩介著 角川ONEテーマ21)という本もベストセラーになっています。

この後、「1988年以降の各国の生産年齢減少率とインフレ率」という表をもとに『デフレの正体』への反論がなされている。この表は生産年齢人口が減少または微増している14ヶ国を並べて、それぞれの総人口、生産年齢人口及び消費者物価指数の動向を比較したもので、14ヶ国のうち日本だけが消費者物価指数が下落していることが示されている。
この表から「現役世代の減少が起こっていて、デフレが起こっているのは日本だけ」ということを読み取った上で、次のように続けている。

もし「現役世代が減少するとデフレが起こる」説が正しいとしたら、現役世代が減っている国はすべてデフレに陥っていなければならないはずです。
しかし、現実にはそうなっていません。それを考えると、「デフレは、生産年齢人口の減少によって引き起こされている」という説は誤りということになります。そして、生産年齢人口の減少が起こっている国で、デフレに見舞われているのは日本だけだという事実からわかることは、日本のデフレは「生産年齢人口の減少」以外の原因で起こっているということです。

さて、この議論には何かおかしいところはないだろうか? 一見したところもっともらしいかもしれないが、よく読むと「現役世代が減少するとデフレが起こる」というのは、もとの「日本のデフレは、生産年齢人口の減少によって引き起こされている」とはレベルの違うことを言っている*2。雑な言い方をすれば「日本のデフレは、生産年齢人口の減少によって引き起こされている」は、日本の生産年齢人口の減少という個別の出来事と、日本でデフレが起こっているという、同じく個別の出来事の間の関係について因果関係を述べているのに対して、「現役世代が減少するとデフレが起こる」のほうは、その後に続く文章から察する限りでは、現役世代が減少するという出来事の類型と、デフレが起こるという、やはり出来事の類型との間の因果関係を述べている*3。個別の出来事どうしの因果関係を述べることを「トークン因果言明」*4、出来事の類型どうしの因果関係を述べることを「タイプ因果言明」*5と呼ぶことにしよう。すると、『円高の正体』の『デフレの正体』批判は、トークン因果言明をタイプ因果言明と取り違えるという論理的なミスを犯しており、妥当ではないと考えられる。
因果言明に限らず、タイプとトークンの区別は大切だ。たとえば、「文字列『ABRACADABRA』にはいくつの文字が含まれているか?」という設問に対して、これを文字トークンの数を問うものと捉えるなら答えは「11」になるだろうし、文字タイプについての問いだと捉えるなら答えは「5」*6となるだろう。
『デフレの正体』を素直に読めば、そこには明確なトークン因果言明が含まれているものの、タイプ因果言明は少なくとも明示的な形でし示されていないことが容易に見てとれる。そこでは、外国の生産年齢人口の話はほとんど出てこない。わずかに199ページから201ページにかけて中国とインドの将来の生産年齢人口減少に言及している程度で、それも日本における外国からの移民受け入れに関する議論の中で出てくる話題だ。つまり、『デフレの正体』の基調は、今、この国で起こっていることへの説明であり、グローバルな経済理論の樹立ではない。
もちろん、だからといって他国の例を持ち出すのは全く筋違いだとか無意味だということではない。「よその国では現役世代が減っても物価が上がっているのに、どうして日本だけ物価が下がるの?」という疑問には、しかるべき回答が与えられるべきだろう*7。だが、『円高の正体』は、非常に「わかりやすい」本であり、批判の相手方に追加説明を要求するような書き方はせずに、直ちに白黒をつけるような書き方をしている。潔いといえば潔いのだが、そのせいで経済の素人でもわかるようなタイプとトークンの取り違えという論理的誤謬に陥ってしまった。「新書だから仕方がない」と言ってしまえばそれまでだが、欲をいえばもうちょっと工夫が欲しかった。

おことわり

最初に「まとめ」で書いたとおり、この文章は『円高の正体』のわずか3ページの記述に焦点をあてたものだ。それ以外の箇所も読んであるが、本全体の主張について適切な評価ができるほどの知識がないので控えておく。経済学の知識に乏しくてもちゃんと読み通すことができて、それなりに理解できた(ような気になった)のだから、入門書としてはよく書けていたのではないかと思う。

*1:もうひとつ、高齢者の増加も重要なのだが、話を簡単にするためこの文章では触れない。

*2:細かい話をすれば「現役世代」と「生産年齢人口」の間にはずれがある。そのことは『デフレの正体』の93ページで軽く触れられている。

*3:割り切った書き方をしたが、そもそも生産年齢人口減少とかデフレとかを「出来事」と呼べるのか、という問いも提起できるだろう。これは立ち止まって考える価値のある問いだと思うが、今は立ち止まっている余裕がないので、ここでは出来事の存在論のようなややこしい話題には踏み込まない。

*4:より正確にいえば「トークン-トークン因果言明」となる。

*5:これも正確にいえば「タイプ-タイプ因果言明」となる。

*6:すなわち、「A」と「B」と「C」と「D」と「R」の5種類。

*7:たとえば、『円高の正体』の「1988年以降の各国の生産年齢減少率とインフレ率」で取り上げられている14ヶ国のうち「総人口が増加しているのに生産年齢人口が減少しているのは日本だけ」ということがらが読み取れる。これが答えに直結するかどうかはわからないけど、何らかのストーリーを紡ぎ出すことはできなくもないかもしれない。