“パワースポット”なんか知らない

財団法人地域活性化センターから出ている月刊誌、その名も「地域づくり」、は毎号あの手この手で地域づくりにいそしんでいる。
たとえば、ウェブサイトで閲覧可能な最古の号である1996年10月号の特集は「酒をテーマにしたまちづくり」、昨年2011年12月号の特集は「コミュニティカフェとまちづくり」というふうに、毎号かなりテーマを絞ってまちづくりやまちおこしや地域おこしや地域活性化の事例を紹介している。よくこれだけ続くものだと感心する。なかにはたこ、凧、カイトでまちおこしとかマラソンによる地域活性化というような、ピンポイント過ぎるようなテーマのときもあれば、近代化遺産が息づくまちづくり近代化産業遺産を活かしたまちづくりのように類似したテーマを扱っているときもあるが、まあ仕方がない。
ただ、今月号の“パワースポット”を活かしたまちづくりというのはさすがにちょっといかがなものかと思った。
何らかの個人的な事情で“パワースポット”などというものを信じ込む人がいるのは、社会の病理というより正常な生理に属すると考える。誰しも気の迷いに囚われたり、思慮が足りなかったりすることはあるからだ。そのような人の心の弱さに付け込んで商売のネタにする人がいるのは悲しいことだが、度を過ぎた悪徳商法でない限り社会の健全性を損なうことはないだろう。しかし、「まちづくり」という文脈に、オカルトまがいの妄念を肯定的に位置づけるのは、さすがにちょっとまずいのではないだろうか。
個々の事例紹介をみると、たとえば龍泉洞内の地底湖に安らぎと感動のように、あえて「パワースポット」という語を回避したような文章もあれば、分杭峠の?ゼロ磁場?にリピーターのように「一線を引いた対応」を強調した文章もあり、必ずしも“パワースポット”万々歳というわけではないのだが、この特集記事の基調はかなり危ういように感じられる。読んでいて気分が悪くなった。
以前、「地域振興」という美名の下で - 一本足の蛸で書いたように、もともと「まちづくり」とか「むらおこし」の類にはあまり好意的ではないのだけど、この「“パワースポット”を活かしたまちづくり」からは何というか、その、腐臭のようなものが漂ってくるような、厭な気持ちになったのだ。
ところで、月刊「地域づくり」のバックナンバーのなかにはミステリーのまち特集号がある。推理小説の舞台となったまちを特集しているのかと思えばさにあらず、古文書をもとにキリストの墓でむら復活とか伝承・伝説をもとにUFO博物館という、見出しを見ただけで頭を抱えたくなるような文章がある。10年以上前の号なので今さらどうこう言っても仕方がないのだけど、この特集、誰か止めようとしなかったのだろうか?
何年か前に、『ロズウェルなんか知らない』を読んだことがある。

ロズウェルなんか知らない (講談社文庫)

ロズウェルなんか知らない (講談社文庫)

これは面白くて、全然不愉快に感じなかったのだけど、やっぱり小説と現実とは違う。フィクションの世界でなら、血みどろの連続殺人でもバラバラ死体でもOKだけど、現実にそんな事件が起こったら厭で厭でたまらないことだろう。それと同じことだ。