『僕はお父さんを訴えます』についてもう少し書いておこう

僕はお父さんを訴えます (『このミス』大賞シリーズ)

僕はお父さんを訴えます (『このミス』大賞シリーズ)

今日、『僕はお父さんを訴えます』を読んで、Twitterで感想を連投した。
ほとんど何も書いていないのに等しい。
Twitterはどこにどういう形で流れていくかが予測不可能なので、あまり立ち入ったことを書くとこれから読もうと思っている人に悪いと思ったからだ。
だが、はてなダイアリーなら、もうちょっと踏み込んで書いても構わないだろう。この小説を読んで、特に感心した点について少しだけ触れておこうと思う。
『僕はお父さんを訴えます』は主観的心理試験を扱った小説だと考える。「主観的心理試験」というのは、ミステリファンの間でもあまり一般的な言葉ではないだろう。今、『僕はお父さんを訴えます』について考えていて思いついたフレーズだからだ。
だが、「心理試験」なら誰だって知っているだろう。今は「心理テスト」のほうがよく使われているが、江戸川乱歩に敬意を表して「心理試験」と表した。物的証拠以外に、ある人物が犯人かどうかを心理的アプローチで解明するというモティーフが黄金期の英米探偵小説ではしばしば用いられており、乱歩の「心理試験」もその系譜に属する。
その「心理試験」の上に「主観的」という言葉を載せたのは、こういうわけだ。『僕はお父さんを訴えます』では、探偵役の手持ちの物的証拠だけで、ある人物を犯人だと推定することが客観的には可能だと思われる。しかし、探偵役の主観において、犯人には鉄壁の心理的アリバイがあり、それを突き崩さない限り、犯人を告発することができない。そこで、探偵役は犯人にある心理試験を仕掛けるのだ。
これは、非常に面白いアイディアだと思った。もちろん、この小説はこのアイディアだけで成り立っているのではないが、これひとつだけとっても、その斬新さは評価に値すると考える。
以上。