幼児が数分で解けるとは信じがたい難問

幼児が数分で解ける問題なら、大人なら数秒で解けるはず - 一本足の蛸の続き。先にそちらを読んでください。
昨日の記事では、問題そのものに対する直接の解答は書いておいたが、作意と思われるものは伏せて、最後にほのめかすことにしておいた。それが「もりのさる おまつり の」だが、何のことかわからない人のほうが多いだろう。だが、それでいい。検索すればわかるが、決して検索してはならない。そんなことをしても何の利益もない。あなたが不幸になるだけだ。世の中には知らなくてもいい知識、いや、所定の手続き以外の仕方で知ってはいけない知識というものがあるのだ。
さて、昨日取り上げた問題は、哲学的に考えれば答えが一つに定まらない類のものだ。なぜかといえば、およそいかなる答えであろうとも、それ以前の数式(?)と調和する規則を立てることができるからだ。たとえば、次のような規則を考えることができる。

一連の式は左辺がなんであるかにかかわらず、右辺の値が、
6,0,0,4,0,0,2,1,4,0,0,0,3,5,1,0,4,1,3,5,0
の順に並ぶ。一巡したら最初に戻る。

この規則に従えば、答えは6となる。そしてこのやり方で、右辺の値の列に1つ付け加えて規則を再構成すれば、付け加えた任意のものが答えとなるのだ。
いま、「哲学的」という言葉を使ったが、実際にそういうことを考えた哲学者がいる。詳しく述べる余裕はないので、次の本を読んでいただきたい。

ウィトゲンシュタインのパラドックス―規則・私的言語・他人の心

ウィトゲンシュタインのパラドックス―規則・私的言語・他人の心

でもまあ、上に掲げた規則をみて「そりゃないよ」と思う人もいるだろう。そういう人は、次の記事を読んでいただきたい。

これを読んだとき、「やられた!」と思った。こういう別解がないものか、と自分でも考えてはいたのだが、思いつかなかったのだ。
リンク先の記事が優れているのは、単に別解を示したというだけではない。数と数字の違いを十分に理解したうえで書かれているのだ。

また、数字ではなく数そのものの性質に基づいている点で、より普遍性が高い解法であるといえます。一、二、三という漢数字や、I、II、IIIというローマ数字であっても成立する、もっといえばモールス信号などでも関係ありません。ある数が素数であるかどうかや素因数分解の一意性は数の表記とは関係のない数の本質的な性質です。

もとの問題について通常思いつく解は、式の左辺に並んだ4桁の数字を数字そのものとして捉え、式の右辺に並んだ1桁の数字を数を表すものとして捉えることによって成立する。このアンバランスさを掬い取って、別解の優位性を主張しているのが、いま引用した箇所だ。
負け惜しみめいて聞こえるかもしれないが、もちろんその程度のことは気がついていた。昨日の記事では、左辺の数字は鉤括弧でくくり、右辺の数字は鉤括弧なしで書いておいた。これは、左辺は数字への言及(mention)、右辺は数字の使用(use)という違いがあるという認識によるものだ。
しかし、そこまでだった。
トポロジー対素因数分解 - Log of ROYGBはさらにその上を行っている。
強いてケチをつけるなら、やはり0の扱いがやや苦しいことだが、それは大きな瑕疵ではない。脱帽だ。
もう一つ、うまいなぁと思ったところがある。それは、先ほどの引用文中で算用数字以外の数字に言及した箇所だ。漢数字、ローマ数字はいいとして、モールス信号はふつう出てこないだろう。だが、この流れでモールス信号を出しても、例のアレを知らない人は特に違和感なく読み流す。そのさりげなさがいい。
……何のことを言っているのかわからない人にはすみません。でも、世の中には所定の手続き以外の仕方で知ってはいけない知識というものがあるのです。