アイルランドの蛇

アイルランドに蛇はいる」という主張と「アイルランドに蛇はいない」という主張は、どちらも同じ事態について語っている。その事態とは「アイルランドに蛇がいるという事態」だ。前者はそのような事態が現に成立しているという主張であり、後者はそのような事態が現に成立してはいないという主張だ。
ふたつの主張はひとつの事態に対して正反対のことを言っているので、何らかの事情で中間がない限り、どちらか一方が正しく、残る一方が間違っている。どちらが正しくてどちらが間違っているのかを調べるには、アイルランドを探査して蛇を捕まえるという作業を行うのが最も確実だ。作業中に蛇が1匹でも見つかれば「アイルランドに蛇はいる」という主張が正しく、「アイルランドに蛇はいない」という主張が間違っていたことが明らかとなり、作業はそこでやめてしまって構わない。だが、探査を続けても全く蛇が見当たらない場合は、ふたつの主張のどちらが正しくてどちらが間違っているのかを判定することはできない。原理的にはアイルランド全土を探査しつくせばそこで作業は終わり、「アイルランドに蛇はいない」という主張が正しく、「アイルランドに蛇はいない」という主張が間違っていたことが明らかになるはずだが、果たしてアイルランド全土を探査しつくすということが可能かどうか。もし、それが現実的ではなく、実際にはアイルランド全土を探査しつくすことは不可能だとすれば、次のように言えるだろう。

  • アイルランドに蛇はいる」という主張は蛇を1匹捕まえれば正しいと証明できるが、この主張が間違っていると証明することはできない。
  • アイルランドに蛇はいない」という主張は蛇を1匹捕まえれば間違っていると証明できるが、この主張が正しいと証明することはできない。

こうやって整理してみると、単に「アイルランドに蛇はいない」という主張は「アイルランドに蛇はいる」という主張に比べると分が悪いというだけのことのような気もする。これを「悪魔の証明」などと言いたいならそう言っても別に構わないのだけど、悪魔を引き合いに出すのは仰々しいように思う。