世に「自己責任」の種は尽きまじ

川に無許可で橋を架けたら河川管理者から撤去を求められた、という話。そりゃそうだ、と素直に思ったのだけど、そうは思わない人もいるようだ。はてなブックマークからコメントを2つ引用する。

こんな山奥の町道に掛かる橋なんだから、治水上の問題があっても自己責任で良いだろ。現状の橋をそのまま認可してあげればそれでええやん。沈下橋だっていうんだし。

ぱっと見、追認で何も問題ないように見えるけど、何かあるのだろうか

まず、下のコメント。「ぱっと見」問題ないように見えると書かれているが、たぶん記事中の写真を見た感想だろう。だが、ちょっと待て。この写真の撮影時期は明示されていないが、おそらく今年3月に県が事態を把握した後のことだろう。熊本県は雪国ではないから、3月ないし4月というのは非出水期だ。当然、河川の水位は低い。出水期の写真を見ても同じように「問題ないように見える」と思えるかどうか、やや疑問がある。
次に上のコメント。「町道に掛かる橋」というのはたぶん「橋に通じる道路の町道認定のため」という箇所を読んで早合点したのだろう。これから町道認定するために現地視察を行ったのだから、当然、その段階では未認定道路、すなわち町道ではないはずだ。その後、橋以外の道路を町道認定したかどうかは書かれていないが、橋そのものを町道認定したとは考えにくい。従って、この橋は「町道に掛かる橋」ではない公算が大きい。
だが、この橋が町道かどうかということよりもっと大きな問題が上のコメントに見られる。それは「治水上の問題があっても自己責任で良い」という箇所だ。
無許可で架けた橋には、それが無許可であるという問題*1以外にもふたつの問題が存在する。

  1. 治水上の問題
  2. 道路交通の問題

後者の問題については、「この橋は地域住民以外が通ることはほとんどないのだから、洪水で橋が損壊しても地域住民が困るだけだし、仮に通行中に橋が流されてひどい目に遭ってもそんな脆い橋を架けたのは地域住民なのだから自業自得だ」という意見もあり得る。だが、上のコメントで「自己責任」という言葉が向けられているのは前者の「治水上の問題」のほうだ。
洪水で橋に木石の類が引っかかって水をせき止めてしまい周囲が水没するだけなら、地域住民の自業自得かもしれない。しかし、被害を受けるのは橋周辺とは限らない。水圧に耐えきれなくなって橋そのものが流されたら下流の住民の生命や身体、財産に被害が及ぶことことになる。この場合、「自己責任」の「自己」に下流の住民は含まれるのだろうか?
もともと治水上の問題は「自己責任」という考え方になじまない。強いてこじつけるなら、河川流域全体に一つの「自己」を設定して、その責任問題として整理することは可能かもしれないが、あまり意味はないだろう。今の日本の制度では、河川管理の責任は一義的には河川管理者が負うことになっており、その責任を果たすために河川管理者には許認可をはじめとするさまざまな権限が与えられている。河川管理者が治水上の問題に対応するために権限を行使して無許可の橋の撤去を求めるのは当たり前のことで、そこに自己責任論の介入する余地は乏しいのではないかと思うのだが……。
なお、記事の最後に「地方自治に詳しい県立大の桑原隆広教授」のコメントが掲載されているが、この教授は公共物の管理に詳しいのかどうか少し気になった。記者がどんな訊き方をし、コメントをどんなふうにまとめたのかが不明なので、これ以上突っ込まないことにするけれど。

*1:これは形式的な問題だからたいしたことはない、と思う人がいるかもしれないが、自らの利便性のためには法を無視してもよいという考え方はごく控えめに言っても好ましいものではない。しかし、ここでは、この違法性の問題についてはこれ以上踏み込まないことにする。