世の中にはいろいろな物語がある

とあるきっかけ*1から、ウィキペディアの『九十九本目の生娘』の項にたどり着いた。これは1959年に公開された映画のタイトルだそうで、あらすじは次のとおり。

岩手県北上川上流の白山村。十年に一度行われる火づくり祭には秘密があったのだ。それは祭の際、名刀・舞草太郎国永を鍛えるのに生娘の生き血を必要としていたのだ。九十九回目の祭となる今回、警察署長の娘に白羽の矢が立ち、誘拐されてしまう。そして警官隊と村の住民による戦いが始まった。

このあらすじだけでも大いに興味をそそられるが、原作が大河内常平だというからさらに興味深い。
大河内常平といえば名前くらいは知っているけれど、実際に小説を読んだことはなかったはず。もしかしたらアンソロジーか何かで短篇のひとつくらいは読んでいるかもしれないが、全く記憶がない。探偵小説の時代から推理小説の時代への過渡期に活動して今や忘れ去られた*2作家だ。だが1959年当時には「新鋭探偵作家大河内常平の原作」と謳うのが「宣伝ポイント」のひとつだったのなら、それなりに人気があったのだろう。
で、大河内常平の原作のタイトルは『九十九本の妖刀』というもので、このタイトルもおどろおどろしいものではあるが、「妖刀」を「生娘」に替えた映画版のほうがさらに怪しさが増している。生娘というのは人間なのだから「本」ではなく「人」と数えるべきところ、あえて原作の「本」を残したエグさ。原作と映画とでストーリーがどの程度一致しているのかはわからないが、『九十九本の妖刀』 を読んで。 貼雑帖(はりまぜちょう)/ウェブリブログで紹介されているあらすじを読んだ限りでは、大筋は変えていないのではないかと思う。
映画『九十九本目の生娘』のDVDを附録として『九十九本の妖刀』を復刊したら楽しいだろうなぁ、と思うのだけど、まあ無理でしょうな。

*1:本題とは関係ないが、いちおう記しておく。モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」を聴いていて、この作品には「童貞マリアの晚課」という邦題もあったことを思い出した。「童貞」といえば今の日本語ではほとんどの場合男性に使われる言葉だが、字面の上では「童」に男性という含みはなく、昔は女性にも用いられた。宗教用語としては今でもその用法が残っているらしい。では、「処女」はどうかと言えば、「処」とは「生家」ということで、もともとは未婚の女性を指す。性体験の有無は関係なかった。……とここまでは過去に調べたことがあったのだけど、日本語には「生娘」という言葉もあるがこれはもともとどういう意味だったのだろうかと思い検索していたときに見つけたのが、本文で紹介したウィキペディアの記事だったというわけ。ちなみに、生娘 - Google 検索から「激安生娘」という何ともかんともなフレーズを知ったのだが、ここまで来ると本題ともきっかけとも関係ないので、これ以上の探求は控えておくのが吉というものだろう。

*2:「忘れ去られた」というのは言い過ぎかもしれないが、今のところウィキペディアに「大河内常平」の項はないということから、この作家の位置づけは知れるだろう。興味のある方のために大河内常平とは - 探偵作家事典 Weblio辞書にリンクしておく。