『つながる図書館』の感想その他

まずは、この本を読む前にタイトルだけ見て感じたことから。

最近、図書館にカフェなどを併設して住民相互の交流施設にするという動きがあって、なかには観光客の来館による「交流人口」の拡大をめざす事例もあるのだが、そのような事例に対してなんとなく違和感というか不快感というか不安感というか、あまり明確な言葉にはしにくい感情を抱いていたところ、『つながる図書館』という本が出たので、サブタイトルに含まれる「コミュニティの核」という言葉を手がかりにして、漠然と抱いていたものを何とか言語化してみようと考えたのが、上の3ツイートだ。
最初のツイートは要するに「本読みにとって図書館の交流機能なんて邪魔」という趣味人のエゴ丸出しのものだったので、もうちょっと社会正義っぽい理窟はないかと思って続けたのが後の2ツイートだ。人によっては被害妄想的だと感じるかもしれない。だが、「つながる」「絆」「交流」「コミュニケーション」「ふれあい」などの言葉を無条件肯定することを強要するような風潮に眉をひそめている人も一定数はいるだろうし、そのような人なら自身の問題として共感するところまではいかなくても、図書館の交流施設化によって排除されるかもしれないという危惧を一笑に付すことはないのではないのではないか。
この一連のツイートは数十人がリツイートしてある程度拡散した。本のタイトルを直接挙げたわけではないが、ツイートの時期から『つながる図書館』を連想する人もなかにはいるだろう。だが、その本を読んだうえでつぶやいたわけではない。それは具合がわるかろう。
というわけで、早速『つながる図書館』を読んでみた。

「もっとも関心した」はもちろん「もっとも感心した」の誤記。今さら修正しようがないのでそのままにしておく。

『つながる図書館』のあとがきによれば、当初の企画では東日本大震災の被災地の図書館のことを書きたかったようだ。同じ版元から同時に『走れ!移動図書館: 本でよりそう復興支援 (ちくまプリマー新書)』が出ているので、もしかしたらテーマのバッティング回避という意味合いがあったのかもしれないし、それとは無関係に単に編集者の意向だったのかもしれないが、ともあれ、実際にできあがった本は著者の当初構想とは全然違ったものになっている。タイトルについては特に言及されていないが、おそらく著者の一存でつけたものではなく、編集・営業サイドの関与が大きいものと推測できる。タイトルが本文の内容と無関係というわけではないのだが、やや時流寄りの浮ついたタイトルから連想するイメージと、本文で紹介された各地の図書館の事例を通して著者が暗に語ろうとしていることの間には、少しずれがあるのではないかと感じた。
それはともかく、図書館が市民の交流の場としての機能を持つことに対する批判的なまなざしが『つながる図書館』には欠けているのも確かだ。「交流=好ましい」という価値観がやはり基本となっている。だが、この論点は神学論争めいた泥沼に陥るおそれもあり、新書で踏み込んで論じることを期待することはできない。むしろ、「無料貸本屋」批判を受けているような従来の図書館*1からの脱却を目指す各地の取り組みと武雄市図書館とは似て非なるものだということが、図書館業界に通じていない素人でもはっきりわかる*2ように書かれているということの意義のほうが大きい。
最後に、『つながる図書館』の感想から少し離れて、「神学論争」の入口で雑談することにしよう。キーワードは「におい」と「音」。
まず「におい」について。
図書館にカフェを併設すると、そこにはコーヒーのにおいが立ちこめることになる。コーヒーのにおいというのは、コーヒー好きにはたまらなくよいものであり、そうでなくても気にならない人も多いが、全く打ちつけない人も多い。煙草の煙とは異なり、コーヒーのにおいによる健康被害は確認されていないから、「コーヒーのにおいくらい我慢しろ」と言う人もいるかもしれない。あるいは、「コーヒーのにおいは何日も風呂に入っていない人の体臭ほどは臭くない」という主張もあり得る。このような意見は合理的だろうか? また、この論法を受け入れるとして、カフェのかわりにアロマリラクゼーションサロンを併設した場合はどうか?
次に「音」について。
図書館の交流施設化との関連はよくわからないが、最近、図書館で音楽や環境音を流すことが増えているという。ここには、私語・足音・紙ずれ音など、図書館利用者が出す音とは別の問題がある。『うるさい日本の私―「音漬け社会」との果てしなき戦い』で論じられているような問題とどう向き合っているのだろうか? あるいは全く取るに足らない暴論・極論として無視したうえで音を流しているのか? また、音楽の場合には、「図書館で流すのが好ましい音楽」と「図書館に流すのに適していない音楽」の区別をどうするか、という問題も生じることになるが、これをどう考えるか? 特定の音楽を公共施設で選択的に流し続けることの是非はどうか?
「におい」「音」ともに論者の関心や嗜好、背景知識によって大いに意見が左右され、まともに議論がかみ合わないことが予想される。ただ、このような論点もあり得るのだということは心に留めておいてもいいのではないかと思う。

*1:そのルーツが『市民の図書館』にあることもきちんと書かれている。

*2:ただし、斜め読みだとわからないかもしれない。