都市・排除・強制

さっきやさしくない公共(上) 街は悪意に満ちている 「最悪いす」の意味:連載 : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社を読んで思い出したことをつらつらと。まとまりはありません。
2年ほど前から佐賀県武雄市に注目している。今リンクを張ったページにアクセスするとFacebookへ移行した旨のメッセージが表示される。なんだかいやな感じの公式サイトだ。
武雄市は昨年末の「ひまじんうんこ」事件*1が話題になったが、もちろん「ひまじんうんこ」だけの市ではない。武雄市が抱えているさまざまな問題は佐賀県武雄市の問題について:takeoproblemでまとめられているが、これは武雄市*2を中心に扱ったサイトであり、もちろんそれ以外にも武雄市にはさまざまな問題がある。
たとえば、一昨年に武雄市長物語で、空家が増えて危険な状態で放置されているという問題があることを知った。で、そのときに空家を壊せば空地がうまれる - 一本足の蛸という記事を書いた。
それからしばらく武雄市のことはすっかり忘れて平穏な日常生活をおくっていたのだが、確か一年くらい経ってから、ふと思い出して調べてみたところ武雄市空き家等の適正管理に関する条例が成立していた。条文を見たところでは、「全国のロールモデルとなる実効性のある条例案を作りたい」という市長の意気込みがどの程度反映されているのかがわからなかったのだが、そのときに「月刊地域づくり」第284号北村喜宣教授の論文などを参照しながら、先行する他の自治体の条例と比較してみた記憶がある。でも、今、過去ログを検索しても、そのときに書いた記事が見当たらない。たぶん書いているうちにどんどん長くなっていやになってアップロードするのをやめたのだろう。
確かそれと同じときだったと思うが、いろいろ検索してみつけたのが、総務省|地方自治制度|地方分権の進展に対応した行政の実効性確保のあり方に関する検討会というページだった。ちょうど検討会の報告書が完成して、どこかの新聞で空家対策と絡めて紹介されていたのだ。
報告書(http://www.soumu.go.jp/main_content/000214705.pdf)の31ページめ*3以下に次のように書かれている。丸つき数字を丸括弧に替えて引用しよう。

政策課題への対応手法としては、法令による義務の賦課とその強制あるいは罰則の適用が一般的に想起されるが、現実の行政においては、義務の賦課に限らず、多様な手法が用いられている。いくつか類型を挙げれば、(1)放置自転車防止条例に基づく放置自転車の撤去のような、法的手法ではあるが個別の義務賦課を伴わない即時執行、(2)事業者に規制を遵守させるため助成を行う経済的誘導や、相手方の任意の協力を要請する行政指導、(3)駅のホームドアや人が横になることのできない肘掛け付きのベンチのような環境自体の物理的な操作によって、一定の行為を規制・誘導しようとする「アーキテクチャ」などの手法がある。また、(4)予防接種の任意化のように、従来行われてきた法令による義務賦課をやめ、個人の自己選択に委ねることで行政責任の範囲そのものを変更することも行われる。
これらの手法については、それぞれに長短や特徴がある。(1)即時執行は、法令に基づいて行われるものではあるが、義務があらかじめ命じられることを前提としないことから、命令に対する取消訴訟のような救済の手がかりが明確に設けにくく、手続や救済に関し人権保障の点で不十分との指摘がある。(2)経済的誘導や行政指導は、ソフトな手法である一方、相手方が従わない場合は、最終的に実現することができない。(3)「アーキテクチャ」は、意識されずかつ安価に行為を規制・誘導できる一方、民主的な正当化手続なく行われやすいとされる。また、(4)行政責任の範囲の限定については、行政責任の範囲と個人の自己選択のバランスについて、慎重な議論が求められるところである。

いま引用した箇所に続いて、「アーキテクチャ」の例として肘掛け付きベンチとホームドアの写真が掲載されている。
そのとき、「『アーキテクチャ』って何じゃらほい?」と首を傾げた記憶がある。これは確か建築用語ではなかったか? 以前、森美術館でやたらとこの言葉が出てくる展覧会をみた記憶がある*4が、そこには「強制」とか「誘導」というような含みはなかったように思う。
そこで、アーキテクチャ - Wikipediaをみると、この語はいくつかの分野で少しずつ重なり合いながらも別の意味で用いられていることがわかった。こういうややこしい語はカタカナ書きのまま放置せずにきちんと漢字を使った訳語にして区別してもらいたい*5ものだと思う。
それはともかく、昨年、件の報告書の「アーキテクチャ」の例をみて、ホームドアはともかくとして、肘掛け付きベンチのほうは、なんだか「排除アート」に似ているなぁ、と思った。なんでそんな連想をしたのか自分でもよく覚えていないのだが、「排除アート」という語はたぶん新宿西口のオブジェのどこが問題なのか? - aesthetica sive critica〜吉田寛 WEBLOGで知ったのだろうと思う。
これはそのうち何らかの形でまとめて文章を書こうと思っていたのだが、その後すっかり忘れてしまい、さっきやさしくない公共(上) 街は悪意に満ちている 「最悪いす」の意味:連載 : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社を読んで久しぶりに思い出したところだ。
インターネットで文章を公開するということは、基本的には他人に向けて何らかの主張をするということであるので、文章は他人が読んでわかりやすく意味が通るように簡潔にまとまっているべきだと思うのだが、そう言っていると、ちょっとした着想かどこかで知ったデータを書き留める間もなく消え去ってしまうことになる。特にとしをとって記憶力が減退し、それと正比例して文章をまとめる能力も衰退していくと、なおさらだ。そこで、最近は開き直って、まとまっていなくても、尻切れトンボでも、とにかく連想の思いつきをそのまま書き留めて公表しておくのもいいのではないかと思うようになってきた。
文章そのものにはあまり価値はなくても、手当たり次第にリンクを張っておけば、互いに異なる分野の話題を関連づけて、そこから何か新しいことを考える人が出てくるかもしれない。まあ、希望的観測ですが。
というわけで、今日もまた、投げっぱなしでおしまい。

*1:武雄市の樋渡市長、ユーザーを「ひまじんうんこ」と侮辱。自ら市のガイドライン破る(篠原 修司) - 個人 - Yahoo!ニュース参照。

*2:特に現在の樋渡市長とその周辺の人物の問題。

*3:文書中のページ数では23ページ。

*4:ル・コルビュジエ展だったかメタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョンだったか、それとも別の展覧会だったか、今となっては記憶はおぼろげだ。ろくに集中して鑑賞していない証拠だろう。

*5:たとえば「現実主義」「写実主義」「実念論」のように。