「自己責任論」で中生代に退行する日本
「自己責任論」で中世に退行する日本(古谷経衡) - 個人 - Yahoo!ニュースを読んで最初に感じたのは、この筆者の歴史の理解には明らかな間違いがあるということだった。
それは次の箇所に典型的に見られる。
「(シリアに渡航した)動機が不純だから、国家は彼らを助ける必要がない」という自己責任論がまかり通るのなら、それはもう「鎖国という祖法を破って、海外に渡航する領民については、何をやっても幕府は捨て置く」という、江戸時代の日本の、中世の世界観と瓜二つである。
実際には、江戸幕府は、「祖法」を破って海外に渡航する日本人については、抜荷(密貿易)の事実がない限りはおおよそ黙認していたが、それと合わせて「出国」した日本人については、当地でどんな目にあおうが原則「黙殺」の態度を貫いていた。「国民国家」という意識の薄い、前近代の中世の国家にあっては、同胞意識は限りなく薄弱だった。「同じ日本人」という概念は限りなく薄いのが「国民国家」が形成される以前の、中世に於ける同胞意識だ。
だから例えば、戊辰戦争で薩摩の藩兵が会津で暴行陵虐の限りを尽くす、という悲劇が平気で起こる。「国民国家」以前の世界には、「同じ同胞の日本人」という意識がきわめて希薄なのだ。
「動機が不純だから、国家が保護する必要はない」という、今回の事件を契機にまたも沸き起こった「自己責任論」は、このような前近代の中世の世界観を彷彿とさせるものだ。
この人は、江戸時代が中世だったと勘違いしているのだろうか?
「古代・中世・近代」という三区分では近代のすぐ前は中世ということになる。そして日本における近代は概ね明治維新から始まっているのは疑いえない。従って、その前の江戸時代は中世だということになるのだが、それはさすがに無理が大きい。
というわけで、日本史では中世と近代の間に「近世」という区分を設けていて、論者によってその範囲は少し違うものの、江戸時代は近世に区分するのが常識だ。
「自己責任論」で中世に退行する日本(古谷経衡) - 個人 - Yahoo!ニュースを書いた人は立命館大学史学科出身だそうなので、それくらいのことを知らないはずはないのだが、なぜ基本的な歴史学用語を誤用したのだろうか? 「中世」という言葉を使わずに「前近代」とだけ言っておけば、辞書レベルでの間違いを指摘されることもなかっただろうに*1。
さて、「中世」という語の用法は瑣末なことかもしれない*2が、上で引用した箇所には歴史学の素養の有無にかかわらず明らかに受け入れがたい主張がみられる。「彷彿」という言葉に曖昧にされてはいるが、「自己責任論」と中世の世界観の類似性が示唆されていて、これが文章のタイトルにも繋がっているのだが、常識的に考えて、近年幅をきかせている「自己責任論」が前近代にあったわけではないし、仮に類似する考え方があったとしても、それと「同じ同胞の日本人」*3という意識の薄さとは無関係だ。
この文章の厄介なところは、「同胞」や「同胞意識」という語に国民国家を重ね合わせていることだ。戊辰戦争の薩摩藩兵の間にも、「同じ薩摩の同胞」という意識はもちろんあったはずで、時代をずっと古代・上代まで遡っても、同胞意識が限りなく薄弱だった時代があるとは考えにくい*4。歴史的に「同胞」の範囲が拡大してきたということとと、「自己責任論」に代表されるような現在進行形の「同胞意識」の解体は全く別のことであり、これを「中世への退行」と言ってしまうのは無茶苦茶だ。これでは、「自己責任論」の台頭とグローバリズムの進展との関係が隠蔽されてしまう。
ほかにも、いろいろもやもやすることはある。たとえば、「同胞意識」はしばしば「同胞ではない他者の排除・迫害」を伴うもので、これは別に国民国家成立以前も見られたことではあるのだが、近代ではそれが激化して数多くの戦争をひきおこしているということ、そしてしばしば戦争の発端が「在外邦人の安全確保」であったり「在外邦人殺害への報復措置」であったりすることは、大いに強調しておくべきだろうに、「正当化するつもりはない」と言いつつ台湾出兵を引き合いに出すのはいかがなものだろうか、と思った。
だが、そのような「もやもや」はともかく、まずは歴史理解のおかしさを指摘しておきたいと思った次第。
読書に両性の別はあるか?
見出しの「両性」とは男女の性別のことだが、そう書くと「男」が「女」の前に出るし、それを嫌って「女男」と書くのは少しやり過ぎの感がある。いっそ「嬲」はどうか、などとあらぬことすら考えたが、結局は「両性」に落ち着いた。あまり日常的には使わない言葉かもしれないが、日本国憲法第24条で用いられている言葉*1だから悪くはない。なお、ふだんから「男女」という言葉を忌避しているわけでもなければ、言葉狩りなど毛頭考えていませんので、誤解なきよう。
さて、読書と性別ということについて考えてみる気になったのは、次のような文章を目にしたからだ。
この文章は大きく3つの部分から成っている。
1と2はいいとして、書店や出版社の企画への反発がなぜ3という形になってしまうのか、やや疑問があった。というのは、「文庫女子」などの企画の愚劣さは、まず何を置いても読者を性別で分断していることにあると思うからだ。だが、「文庫女子」フェアが色々ひどすぎた - 田舎で底辺暮らしを読み直してみると、そこで批判されているのは、男性が女性読者をバカにしている、ということのようだ*2。なるほど、それなら対抗して女性におすすめする本の紹介をするという流れになるはずだ。
と、理解はしたものの、やはり釈然としないものが残る。それが、今日の見出しに繋がる。果たして、読書において性別というものがなんらかの意味をもつものだろうか?
スポーツ競技においては、女子と男子は歴然と区別されているのが普通だ。その区別にどの程度の合理性があるのか判断することはできないが、生物学的な身体の構造や体力の差などが背景にあるのだろうと想像することはできる。
同じ勝負事でもスポーツを離れると事情は少し違ってくる。たとえば、囲碁にも将棋にも「女流棋士」と呼ばれる人がいるが、将棋の女流棋士は棋士ではないのに対し、囲碁の女流棋士は単に女性の棋士に過ぎない*3そうだ。囲碁と将棋でなぜ違いがあるのかは知らないが、盤上競技の世界は生物学的な性差が現れるか否かの境界線上に位置しているのかもしれない。
では、読書はといえば、これはもう競技でもなければ勝負事でもなんでもない。性差など何の関係もなく、好きなように本を選んで読めばいいのであって、そこに「自分は女だから……」とか「ここは、男として……」などという意識が入り込む余地がどれほどあるというのか。いや、世の中には男性向けの本や女性向けの本が大量に溢れているではないか、と反論する人もいるかもしれないが、それは出版社や取次、書店などが勝手にレッテルを貼っているだけで、一人の人間として一冊の本に向かうとき、そんなものは雑事に過ぎない。
……と書いてはみたものの、やっぱり女性と男性では読書の傾向に若干の違いはあるのだろうな、と薄々感じてもいる。とはいえ、本は多種多様であり、読者の好みも多種多様だ。個人差が極めて大きい読書という行為において、性差などほんのわずかなものではないか、と考えたくもなるのだ。
以上で述べたことは、あくまでも趣味の読書に関する意見であって、実用書の類を必要に迫られて読むような局面は想定していない。たとえば、ラマーズ法の実践方法について書かれた本を読むとき、男性が読むのと女性が読むのとでは、かなり意味合いが違ったものになるのは確かだが、そういうことは関心の埒外であるので、ご留意いただきたい。
*1:ちなみにさまざまな差別を禁じた憲法第14条では単に「性別」とされている。
*2:もしかしたら、この解釈は少し違っているかもしれない。だが、読者を性別で分断していることに対する批判がほとんどみられないのは事実だ。
*3:というのは、棋士 - Wikipediaの受け売り。
年の初めに
昨年はどうやら1月1日に日記を書かなかったようだ。何か事情があったのか、それとも単に気が向かなかっただけなのかは、今となってはもう思い出すことができない。
では一昨年はどうだったかといえば、こんな文章を書いている。
今さら言うまでもないが、一年の始まりとか終わりとかいう区切りは人間が勝手に決めたもので、客観的に実在するようなものではない。また、人間社会の中でも暦法によっても一年の区切りは異なるし、同じ暦法を採用していても、国や地域によって異なることがある。
そうすると、一年が始まった瞬間に「あけましておめでとう」と言うのは、実は新年の訪れを言祝いでいるというよりも、自分が属する地域社会が採用している暦法や標準時へのコミットを改めて表明するという意味合いのほうが強いのかもしれない。
それはともかく、昨年「あけましておめでとう」と言ってから、今年「あけましておめでとう」と言うまでの間におよそ一年の月日が流れているのは間違いない。それは暦法や標準時に関係ない歴然とした事実だ。そして、一年の時間の経過は余命が一年短くなった証でもある。
2年前にもうゴールに到着していたという感じがする。もはや付け加えることは何もない。
ただ、件の文章の後の方で、バッハま「クリスマスオラトリオ」に含まれる「受難コラール」に言及しているのだが、それについて少し補足しておくと、キリストの誕生を祝う音楽にその死を暗示する要素を含めるのはバッハに限ったことではない。2年前は知らなかったのだが、その後、グラウプナーのクリスマス用のカンタータのCDを入手して聴いてみると、やはり「受難コラール」の旋律が入っていた。もしかすると当時のドイツプロテスタント音楽ではさほど異例のことではなかったのかもしれない。
さて、その前年、2012年の1月1日には今年の読書の目標 - 一本足の蛸という記事を書いていた。今年も目標を立てたいところだが、あまり冊数にこだわっても仕方がない。かといって冊数以外に目標数値をあげるのは難しい。
昨年は総計126冊の本を読んだが、マンガが大半を占めている。今年はもう少し小説にシフトすることにしたい。だいたい50冊程度。無理かなぁ。
もう一つ目標を立てておこう。これまでに1冊も読んだことがない小説家の本を10冊以上読むというものだ。とりあえず、新年初読みはこれにしようと思っている。
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国内ものの小説では、今月読めなかった『裏窓クロニクル』と『スープ屋しずくの謎解き朝ごはん』はなんとか来月中には読んでおきたいところ。友桐夏も友井羊も好きな作家なのに、積んだまま年を越すのは悲しすぎる。
と書いたが、最も悲しい結末は回避することができた。めでたしめでたし。
至福の読書
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午前8時に読み始めて4時間、読み終えたのは正午のことだった。流し読みすれば半分の時間で読むことができたかもしれない。だが、そうはせずに、ゆっくりと味わいながら、ときどき疑問が生じるたびに既に読んだ箇所を振り返って確認しながら、そして細かな描写や会話の端々からさまざまな空想を膨らませながら、贅沢な4時間を過ごした。まことに至福の時間だった。
未読の人に多くを語ることはできない。差し障りのない範囲で、いくつか興味を惹かれた場面を紹介する程度に留めよう。
たとえば、ミステリ愛好家の人には、こんなシーンはどうだろうか。
鍵が揃っていないなら、深入りすべき時機ではない。これまでだって同じ理由で何本かの鍵を保留してきた。
それにもしもこれがもっと壮大なミステリーのほんの一部に過ぎないとしたら、これからの数年でわたしが習得する知識や技術は、真相解明と解決に大いに役立ってくれるはずだ。その時だってきっとわたしは当事者でなくただの傍観者に過ぎないだろうけれど、でもわたしにすべて任せてくれるなら、今度こそ一人の命もとられることなく最後の扉まで開いてみせよう。
壁に背中をあずけて軽く目を閉じ、わたしは理想を夢想する。
それは少し遠い未来。世間的には忘れ去られた過去の事件であったとしても、ひとたび蒐集した嗜好品をマニアが手放すはずはない。
淡い月明かりの下で対峙するのは、時を越えて突きつけられた過去の罪に恐れおおののく犯人と、十分な成長を遂げ詮議に必要な鍵をひとつ残らず手に入れたパーフェクトな状態のわたし。そして静かに耳を傾ける何人かの観客たちだ。
これは頭を使って犯人を絞り込み決め台詞と共に名指しする、知的な遊戯。沈黙という最後の砦に逃げ込んだ犯人を前に、わたしは悠然と目を細めて微笑み、君臨した正義の女神のごとく冷静に裁きの開始を宣告する。
――では、始めましょうか。
なんとも心ときめくモノローグではないか。事件を解決すること能わず舞台から退場する名探偵、しかしその瞳に失意の色はなく、最終的には必ず勝利するという自負と透視に輝いている。凡百のミステリに漫然と置かれた「読者への挑戦状」よりもずっと心動かされるのではないか。
もっとも、『裏窓クロニクル』はマニア向けのガチガチのミステリというわけではない。偶然の暗合、言葉への執着、個人の意思を超越した大きな力など、後期クイーンをふと連想する要素はあるのだが、友桐夏をエラリー・クイーンの忠実な騎士扱いするのはあまりにも不当というものだろう*1。
私見では、友桐夏の過去の作品のうち『春待ちの姫君たち』はミステリと非ミステリの境界線上に位置しているが、他の諸作はミステリ的な着想や雰囲気もみられるものの、ジャンル小説としての「ミステリ」に位置づけられるものではない。いや、そもそも既成のいかなるジャンルにもすんなりと収まらない。だが、ジャンル小説ではない、いわゆる「普通小説」かといえば、そういうわけでもない。強いていえば「友桐夏」という一つのジャンルがそこにはあるのだ、と開き直るしかない。
だが、『裏窓クロニクル』はきわめてミステリ色が強い作品だ。たとえば第五話の「嘘つきと泥棒」を簡単に紹介するなら「ホテルのスタッフが紛失した鍵を巡る“日常の謎”ものの良品」とでも言えるだろう。実際、これは巧みな伏線と数度にわたるどんでん返しが魅力的な、端正な短篇ミステリだと言ってもおかしくはない……252ページ12行目に「生き残り」という不穏な単語が出てくるまでは。
この不穏さ、そして均整のとれたプロットにあえて異物を持ち込んで歪な空間を現出させ空気を2、3度下げてしまう技法、これこそが友桐夏の友桐夏たる所以だ。ああ、このお行儀の悪さ、いいなぁ。
おっと、未読の人に差し障りのない範囲で紹介するつもりが、かなり内容に踏み込んでしまったようだ。これ以上は危険だ。引き返すことにしよう。
最後に、個人的に非常に印象に残った台詞をひとつ抜き書きしておく。
「そうね、冬来たりなば春遠からじ――西風の矢とでも名づけようかしら」
「冬来たりなば」というフレーズは星新一のショートショートのタイトル*2にもなっているくらいで、よく知られているものと思うが、出典を即答できる人はどれくらいいるだろうか。自らの無知を晒すことになるが、昨年とある機会に調べ物をするまで、これがパーシー・ビッシュ・シェリーという詩人の「西風の賦」ないし「西風に寄せる歌」の一節だとは知らなかった。友桐夏はもちろん、そのようなことを知ったうえで、さらりと「西風」という語を入れているのだ。これはたまたま気がついたけれど、ほかにも特に深く考えることなく読み過ごした記述が数多くあるのだろう。
友桐夏という作家は謎深く、その作品を読み解くために時間や労力を費やす価値は十分にある。たまたまこの駄文に目をとめて最後まで読んだそこのあなたも、ぜひ挑戦されたい。
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来月は仕事が多少落ち着く見込みだが、ここ数か月の疲労が蓄積しているので、小説はあまり読めないだろうと思う。特に海外ものには手が出せない。
国内ものの小説では、今月読めなかった『裏窓クロニクル』と『スープ屋しずくの謎解き朝ごはん』はなんとか来月中には読んでおきたいところ。友桐夏も友井羊も好きな作家なのに、積んだまま年を越すのは悲しすぎる。
700億円か800億円か? 衆議院総選挙経費の謎
近々、衆議院が解散されて総選挙が行われるらしい。
なんで解散するのか、今ひとつピンとこないので、いろいろ調べ物をしていると、解散の理由よりも今回の総選挙でかかる費用のほうに関心が移っていった。
たとえば、次の記事では、700億円が必要だと見込まれている。
自民党の高村正彦副総裁が14日、安倍晋三首相が年内実施の意向を固めた衆院解散・総選挙を「念のため解散」と述べたことが、波紋を広げている。前回衆院選では約700億円の国費が投入されており、今回も同額程度が必要となる見通し。野党は「多額の費用をかけて行う衆院選に大義がないことを認めた」と批判。与党からも「不用意な発言だ」との声が漏れた。
一方で、800億円だという説も出ている。
衆院議員を選ぶ「総選挙」にかかる費用は1回で約800億円といわれる。国民1人当たりの負担は約600円。そんな大金をかけて選んだセンセイ方は、サッカーW杯のどさくさに紛れるように今月22日で国会を閉じると、さっさと長い長い夏休みに入ってしまう。費用対効果を考えるといかがなものか、だ。
なお、この記事は半年くらい前のものなので、今とは多少事情が異なるかもしれない。だが、考えてみれば、上の北海道新聞の記事も2年前の総選挙の実績をもとに想定しているのだから、100億円も食い違いが出るのはおかしいのではないか。
いったい本当はいくら必要なのだろうか?
さらに調べてみると、解散総選挙? 衆院選ではどのくらい税金が使われるのかという記事が見つかった。これは良記事だ。「選挙にかかる費用」にもいろいろあって、どれを含みどれを除くかによって金額が違うのがわかる。
これを読んだ限りでは産経新聞の「800億円」というのはやや過大なようだ。北海道新聞の「700億円」も怪しいが、予算ベースで書いているならわからなくもない。予算はある程度多めにしておかないと、いざというときにお金が足りなくなって選挙が執行できなくなったら大変だ。700億円ほど積んでおいて精算したら600億円くらい、というのはありそうな話だ。 ……と納得しかけたところで、いちおう念のために選挙執行経費基準法なるものを参照しておこうと思った。これは略称で、正式な題名は国会議員の選挙等の執行経費の基準に関する法律という長ったらしいものだが、この法律名で検索したところ、国会議員の選挙等の執行経費の基準に関する法律の一部を改正する法律の概要(平成25年法律第9号)【PDF】という文書が見つかった。どうやら、前回の総選挙の後に法律がかなり大きく改正されていたようだ。ただ、この資料では経費の総額がどう変わったのかまではわからない。 そこで、さらに調べたところ、国政選挙の経費を大幅削減 | ニュース | 公明党という記事が見つかった。産経ニュースは、衆院選1回実施にかかる費用を約800億円と報じているが、2012年の衆院選では、約650億円の税金が使われている。なかでも最も費用がかかっているのが、選挙の事務にかかる費用だ。この費用は選挙執行経費基準法などに基づき国が負担することとされており、2012年12月に行われた衆議院選挙では、約588億円が使われた。
平成25年行政レビューシート(総務省)【PDF】によれば、「衆議院議員総選挙に必要な経費」の予算は約696億円なので、上の記事の「約641億円」とは違っているが、たぶん選挙執行経費基準法に基づく経費以外のものを含んだ金額なのだろう。 公明新聞を信じるなら、今回の衆議院総選挙では前回よりも予算ベースで約69億円削減されることになるが、実績ベースではどうなるのかはよくわからない。国の予算が削減されても、地方公共団体が必要とする経費が前回と同程度だとすると、予算の見積もりが厳しくなった分執行率が上昇するだけで、実際にはあまり減らないかもしれない。 というわけで、結局「よくわからない」という答えしか出なかったが、少なくとも確かなのは、産経新聞の「800億円」説はあてにならないということだ。とりあえず今のところはここまで。7月に予定される参院選では、当初の見込み額約514億円から約67億円を削減。また、次期衆院選では前回選挙(昨年12月)の予算額約641億円から約69億円が縮減され、両選挙合わせた削減額は計約136億円に上ります。