ライトノベルの「発見」

ライトノベルが「発見」されたのは2004年のことだった。このジャンルの全盛期は前世紀のことで、当時はまだ「ライトノベル」とは呼ばれていなかったが、本の売り上げは今の1.5倍くらいあったらしい。本当かどうかは知らないけれど。
全盛期には注目されていなかったライトノベルが、なぜジャンルの勢いに翳りが見え始めてから「発見」されるようになったのか、ということについてはいくつかの説がある。いくつか挙げてみよう。

  • 全盛期の読者が成長して、出版・マスコミ業界に進出して企画を立ち上げられる世代になった。
  • インターネットの成熟により、ネット書評サイトが増えた。
  • 一時期のオタク文化をリードしていたエロゲーが衰退し、理屈っぽいマニアがラノベに流れてきた。
  • 出版業界全体の低迷に比べるとラノベの売り上げはそこそこで、傍目には成長しているかのように見えた。
  • ラノベの停滞に危機感を覚えた人々が事態の打開を図るために、宣伝を行った。

これら諸説の当否について意見を述べるのは控えておくが、今思いつくままに書き並べてみて、ある共通点に気づいた。それは、ライトノベルに内在する原因ではなくて、それを取り巻く環境の変化で説明しようとしている、ということだ。
内在説が皆無だということはないはずで、たぶん見落としているだけだと思うのだが。

ライトノベルの「崩壊」

「2006年はライトノベル崩壊元年になるかもしれない」という人*1がいる。既にいつくかの会社がライトノベルレーベルを新規に立ち上げているが、新規レーベルが一通り出揃う見込みなのが来年だから、というのがその理由だ。もう始まっている動きなのだから、今年2005年こそが崩壊元年ではないかという気もするのだが、もちろん「崩壊元年」という言い回しはレトリックに過ぎないので、2005年か2006年かを問うことに大きな意味があるわけではなく、ライトノベルの「崩壊」の実質的内容を見極めることのほうが、より重要であることは言うまでもない。*2
もっとも、新規レーベルの参入という現在進行中の事態について、現段階でどこまで確定的なことがいえるのかは定かではない。というか、憶測以上のことは何もいえないだろう。あえて、<ライトノベルの「崩壊」>という挑発的な見出しをつけてみたが、案外過剰なブームを沈静化させて、雨降って地固まるということになるかもしれないし、新規レーベルのうち残るものは残り、潰れるものは潰れて、大勢に影響はないかもしれない。より楽天的な人なら、発表作品数が増えることが刺戟となり、何か新しいものがそこから生まれてくるかもしれない、と考えるかもしれない。
そんなことを何となくぼんやりと考えてつつ、いつものようにネットを巡回していたら、まいじゃー分室に切込隊長が降臨しているのを見かけた。あ、『スカーレット・ソード』の著者の山本一郎って切込隊長のことだったのか!

*1:特にライトノベル界隈で名の知れた人ではないので、名は伏せる。

*2:余談だが、「言うまでもない」ことの多くは「言わなきゃわからない」ことでもあるよなぁ、と最近よく実感する。これが「言ってもわからない」ことだと悲惨だが、さすがにそうではないと信じたい。

ライトノベルの「復活」

見出しに偽りあり。別にそういう話をするつもりはない。ライトノベルの「発見」ライトノベルの「崩壊」*1と文章を続けて書いたので、何となく調子を揃えてみたくなっただけだ。*2
こんな変な文章を書くことになったもともとのきっかけは、どこかの掲示板で「ライトノベルに評論はいらない。ライトノベル評論家はみんなゴミだ」と書かれているのを読んだからだ。その時、ふと思ったのだ。確かにライトノベルに評論はいらないかもしれない。だが、「ライトノベルに評論はいらない」という主張だっていらないのではないか、と。
そもそもライトノベル評論(家)の存在意義を論じるのに、要/不要という尺度を持ち出すこと自体、あまりフェアではない。とことん切りつめて考えれば、世の中に本当に必要なものなんてそう多くはないが、だからといってそれ以外のものごとをみんなゴミ扱いするのは極端すぎる。
では、どうしてそのような歪んだ尺度でライトノベル評論を非難する人がいるのだろうか、という疑問を出発点にしていろいろと考えているうちにだんだん頭の中で話がずれていって、そもそもなんでライトノベル評論が興ったのだろう、と考えるようになった。
で、とりあえず思いつきを並べたのがライトノベルの「発見」だったわけだ。
そこからさらに考えを深めていけばよかったのだが、やっぱり横にずれてしまって、次に、いわゆる「ライトノベルブーム」の行く末はどうなるのだろう、というようなことを考えた。そこで、新規参入した出版社*3が既存の出版社を巻き込んで共倒れ、という最も悲観的な観測を以前聞いたことがあったのを思い出し、これまたとりおえず思いつくまま文字を並べたのがライトノベルの「崩壊」だ。今から思えば、「悲観的」の対義語を軽々しく使うべきではなかった。はてなキーワードリンクのせいで、全然関係のないプロ野球の話題だと思ってアクセスした人が多くいたようで、申し訳ない。
そうこうするうちに、この種の話題を展開するには、膨大なデータが必要だとわかってきたので、すっかり続きを書く気をなくしてしまったのだが、わざわざはてなポイントをくれた人もいるので、さてどうしようかと検討中。
とりあえず、メモ代わりにRE V の日記 @Hatena::Diary - ラノベブームの内在説、外在説にリンク。これを読んで、「外在説/内在説」という区分が不用意なものだと気づかされた。

*1:「崩壊」というのはあまり穏やかではない。「解体」程度に留めておいたほうがよかったかもしれない。

*2:もしかしたら「発見/崩壊/復活」の三部作の元ネタがどこかにあるのではないかと思った人もいるかもしれないが、残念ながら元ネタはない。

*3:中には出版社ではない会社もあるようだが。