たまねぎ娘

私がはじめてたまねぎ娘に会ったのは、ある夏の日射しの強い午後のことだった。彼女は日傘を差して公園のベンチに腰掛け、その目からは涙が溢れていた。
「ねえ、どうして泣いているの?」
通りかかった小学生くらいの男の子がたまねぎ娘に話しかけた。
「何か悲しいことでもあったの?」
たまねぎ娘は、ときおりひっくひっくとしゃくり上げるばかりで、男の子の質問には答えなかった。男の子はしばらく彼女が涙するのを見つめていたが、やがて半ズボンを翻してたったっと駆け足でその場を去った。
しばらくたまねぎ娘に近寄る者は誰もいなかった。私も近寄らなかった。
私はたなねぎ娘が座っているベンチの前の小道を挟んだ向かいに立つ銀杏の木にもたれかかって、彼女の様子を観察していた。彼女の瞳はまるで枯れることのない泉のようだったが、それでも観察を始めて小一時間も経つと、涙の流れは落ち着いてきたようだった。
たまねぎ娘は傍らの紙袋から庖丁を取り出した。
いったい何をするつもりだろう?
彼女は庖丁をいったんベンチに置いてから、続いて紙袋からまな板とたまねぎを取り出した。まな板を膝の上に載せ、その上にたまねぎを置く。そして、庖丁を取り上げてたまねぎに振り下ろした。私は銀杏を離れて彼女に近づいた。
「たまねぎは涙腺を刺戟します」と彼女はうつむいてたまねぎを刻みながら言った。「すると、悲しくなくても涙が溢れます」
彼女の言葉は私に向けられたものだろうか? 少なくとも彼女の近くにはほかに人はいないのだが。
「悲しいのに涙が出ないときにもたまねぎは役に立ちます。これさえあれば、血も涙もない非情な女だと思われずにすむのです」そして彼女は庖丁の先で軽く左の人差し指を撫でた。
「ほら、ちゃんと血も出ます」
そこではじめて彼女は顔を上げ、私に向かって微笑んだ。その頬には乾いた涙の跡があり、さらにその上を新たな涙が流れていた。
私がたまねぎ娘に会ったのはそれが最後だった。未だに私はたまねぎ娘の本当の名前を知らない。