中華麺工房:迷い猫

  • きつね 500円
  • たぬき
    • 江戸たぬき 450円
    • 京たぬき 550円
    • 大坂たぬき 500円
  • 杏仁豆腐 480円
  • レモネード 380円

「あー、なんですか? この『きつね』とか『たぬき』っていうのは」
壁に貼られた短冊状の品書きを見て、私は猫釜神康氏に尋ねた。
「これは当店のメニューなのです。まだ店を始めたばかりなので、まずはスタンダードから初めてみることにしました」
と猫釜氏はピントのずれたこたえを返した。
私は思わずのれんに目をやった。「中華麺工房:迷い猫」と書かれている。店先の赤ちょうちんにも「ラーメン」と書いてあるから、ここがラーメン屋であることは間違いない。
だが、猫釜氏の発想がずれているのは今に始まったことではない。私は彼にわからぬようにそっと肩をすくめた。

私が猫釜神康氏と知り合ったのは今から3年前のこと。恩賜有馬記念公園を散策していたところ、噴水脇にござを敷いてポンチ絵を並べ、「どれでもいちまい100えん」と書かれた立て札をたてて、その隣に三角座りをしている猫釜氏を見かけたのがきっかけだ。正直いって猫釜氏のポンチ絵はお世辞にも上手いものとは言えなかったが、通行人に声もかけるわけでもなくただじっと見つめる情けない目つきが、子供の頃に飼っていたうり坊のゴン太にそっくりだったので、つい声をかけてしまったのだった。なお、ゴン太は私の高校受験合格記念に親戚一同を招いて開催した祝賀会でボタン鍋の具材となった。
さて、猫釜氏は当時有名私立大学の大学院生だったが、研究者として生きていくことに迷いを感じていたそうだ。氏の実家は代々徴税請負人を務めており、十分な学資を仕送りして貰っていたので、公園でポンチ絵売りをして生計を立てる必要は全くなかったのだが、行き詰まる研究から逃避したかったのだろう、ほぼ毎日のように有馬記念公園でポンチ絵を売っていた。
後から聞いた話では、半年間のポンチ絵売り生活で得た収入はわずか1300円、すなわちポンチ絵は13枚しか売れなかったのだという。ちなみに、私は猫釜氏に声をかけたものの、ポンチ絵は買わなかった。家に持って帰っても飾る場所がないし、捨ててしまうのも申し訳なかったので。その代わりに、一日中飲まず食わずで公園で座り込んで腹を空かせていた猫釜氏に、ラーメンを一杯おごった……らしい。「らしい」というのは、初めて猫釜氏に会ったときのことを私はよく覚えていないからだ。
それはともかく、これが私と猫釜氏のつきあいの始まりだった。その後、特に親しくしているわけではないが、ときどき思い出したときには連絡を取り合い、2、3箇月に一度くらいは会うこともある。
その猫釜氏がラーメン店を開業した、という話を人づてに聞いたのは3日前のことだった。
その2週間前まで猫釜氏は「これからはEDLPの時代でございますよ!」と言って、一所懸命に食品流通業界の勉強をしていた。なんでも氏の属する大学の図書館に経営学関係の図書が多いそうで、「学生証さえあればただで高価な書籍を読むことができるのだから、たまらんでありますな」などと言っていた。私は学費のほうが高くつくのではないかと思ったものだが、それは黙っていた。
実業家志望の猫釜氏がいきなりラーメン店主とは……。まあ、ラーメン屋もある意味では実業家と言えなくもないが、猫釜氏が目指していた路線とは違う。いったいどういう風の吹き回しか、皆目見当もつかないのだけれども、ともあれ浅からぬ縁のある猫釜氏の新しい船出を祝うため、私は氏の経営する「中華麺工房:迷い猫」を訪れることにした。
そこで、冒頭の会話へと戻るわけである。

「あー、なんですか? この『きつね』とか『たぬき』っていうのは」
「これは当店のメニューなのです。まだ店を始めたばかりなので、まずはスタンダードから初めてみることにしました」
「きつね」や「たぬき」はラーメンのスタンダードじゃない、などという正当なツッコミは猫釜氏には通用しないので、別の質問をすることにした。
「ええと、『きつね』というのはどんなラーメンなんですか?」
「もちろん、油揚げをのせたラーメンです」
「じゃあ、『たぬき』は?」
「これは地域によってのっている具が違うので、当店では『京たぬき』『江戸たぬき』『大坂たぬき』の三種類を用意しました。『京たぬき』は、油揚げを刻んだものをラーメンの上にのせて、さらにその上から葛でつくったあんをかけてあるのです。『江戸たぬき』は天かすラーメンのことです。そして『大坂たぬき』は」
「『大坂たぬき』は?」と問い返してみる。
「油揚げをのせたラーメンなのでございました」
……「きつね」とどこが違うのだろう?

しかしまあ、こんな店にお客がくるのかねぇ、と首をひねっていると、じきにどやどやと女子学生の集団が現れた。
「こんこん、猫のおじさん。今日もラーメンくださいな」
愛らしい声で女子学生の一人がそう言うと、他の女子学生も「くださいな」と唱和する。どうやら常連客のようだ。猫釜氏は「あいよー」と応じて厨房に入っていった。
私は手持ち無沙汰になったので、女子学生に続いてラーメンを注文してみることにした。ラーメンに油揚げはあわないと思ったので「江戸たぬき」を食べることにする。だが、周囲の女子学生たちは全員「きつね」または「大坂たぬき」を食べていた。「この油揚げおいしいね」「うん、絶品だね」などという声が聞こえる。
女子学生が「ごちそうさま〜」と斉唱して店を去ると、猫釜氏が厨房から再び出てきた。
「あの子たちは開店初日から毎日来てくれる上得意なのでありますです」
「毎日?」
最近の女子学生はそんなにラーメンが好きなのか。
「毎日毎日がっぽりとお金が入るので笑いが止まらんですよ」
「ああ、それはよかったですね」
「でも、不思議なことに店じまいをして一日の売り上げを計算する段になると、お金がごっそり消えているのです。まっこと不思議な現象でありますな」
「もしかして、紙幣が木の葉に変わっている、とか」
「まことにその通り。どうしてそれがわかったのですか?」
さっき、女子学生を横目で見たら、ちらりと尻尾らしいものが見えたからだ、とは馬鹿馬鹿しくて言えなかったので、私は黙っておいた。

その年は気候がよくて豊作になり、私は毎日畑仕事にいそしんでいたため、しばらく猫釜神康氏のことも「中華麺工房:迷い猫」のこともすっかり忘れていたのだが、夏が終わり、アップルパイの収穫が一段落した頃に、風の便りで猫釜氏の店がつぶれたことを知った。だが、赤字で倒産したのかといえばさにあらず。ある日、空から千本鳥居が降ってきて「中華麺工房:迷い猫」を押しつぶしてしまったのだそうだ。
とれたばかりの新鮮なアップルパイを持って猫釜氏の見舞いに行くと、氏は存外に元気そうだった。
「稲荷神社から賠償金が出ました! これで2号店が出せるのです」
「じゃあ、ラーメン屋を再開するのですか?」
「いいえ、もうラーメン屋はやめました」と猫釜氏は言う。「次は木の葉丼専門店にしようと思っています」

追記(2007/09/26)

続篇じゃないけど、同じ名前の人物が登場する小説を書きました。あわせてお読み下さい。