本屋の面白さ

ネットには、多くの人間が書評などを行っています。 誰かが言ったから買う、とか、Amazonで人気だから買う、とか。

そういう集合知によって発生する付加価値が、ネットにはほぼ必ず付いてきます。

Googleから検索するという、たったそれだけの行為でも、検索順位と言う付加価値が付いて回ります。

逆に本屋と言うのは、ほぼ全ての本が平等であり、どれを買うかは本人が調べ、考え、選び、そして購入に至ります。

本屋の面白さはここにあると私は思っています。

2008-02-26 - 本屋のほんね経由だ。そこでは「いい話だ」とコメントされているが、同じく*1「いい話だ」と思ったので、いちばん感心した箇所を引用した。
ちょっと趣旨は違うが、以前書いた文章から抜粋してみよう。註釈の再掲は省略。

秋山氏にとってamazonを使用する理由は語るまでもなく自明なことなのだろう。でも、amazonを使ったことがない人間にとっては、当然のことながら事態はまったく明らかではない。せいぜい思いつくのは、目当ての本を簡単に入手できるという利便性だが、仕事で使う本ならいざしらず、趣味の本*1に利便性やら効率性を求めてどうするのだろう? 能率重視ならそもそも本を読んで時間を費やすこと自体、忌避されるべきことだろう。

もちろん、「趣味の読書そのものが無駄」と言い切ってしまうとちゃぶ台をひっくり返すことになる*2し、「どうせ趣味の読書なんだから効率性は完全に無視していいのだ」と言ってしまうと、味噌糞*3だ。とはいえ、「目当ての本を労せずたやすく確実に入手できること」が趣味の読書にとって論じるまでもなく至上の価値である、とは思えない。本との出会いにはさまざな楽しみがあるわけで、自分の足で探し回って買うのが好きな人にとっては、まさに自分の足で探し回って買うこと自体が楽しみのひとつなのだから、その楽しみを味わうためにamazonその他のネット通販を使用しないというのは、非常に目的合理的な行動であって、特段、疑問の余地はない*4。

うーん、ちょっとどころかかなり違う趣旨だった。これは誰も「いい話だ」とは言ってくれない。
ま、人生そんなものさ……(と言いつつフェードアウト)。

*1:でも「いい話だ」と思ったポイントは違っているかもしれない。