読書に大事なムリ・ムダ・ムラ

「ムリ(無理)」「ムダ(無駄)」「ムラ(斑)」、この3つをあわせて「3ム」という。関係ないが、「三無主義」は「無関心」「無感動」「無気力」だ。さらに関係ないが、「三無事件」はクーデター未遂事件で「さんゆうじけん」と読む。えっ、なぜ「無」が「ゆう」なの?

「三無」は無税・無失業・無戦争の3つの“無し”から取られたもので、老子の「無は有に転ず」から“さんむ”ではなく“さんゆう”と呼ばれていたという。

いや、その読みは無茶だ。無謀だ。無視しよう。
さて、「3ム」に話を戻そう。ふつう、「ムリ・ムダ・ムラ」は、いけないもの、なくすべきもの、として捉えられることが多い。だが、読書*1にとって「3ム」はなくすべきものなどではなくて、むしろ積極的に受け入れるべきものではないかと思う。
たとえば「ムリ」。「よし、これから美少女文庫を全部読むぞ!」と決意したとしよう。そりゃ無理だ。稀に無理を通して道理を引っ込めてしまう人もいるが、よい子のみんなは真似してはいけない。というか、真似しようとしても途中で挫折する。でも、無理を承知で美少女文庫全巻読破を志し、果敢にそれに挑み、やがて傷つき倒れたとしても、そこには何かが残るのではないか。豊穣な世界が広がっているんじゃないか。そんな気がする。
あるいは「ムダ」。決して読み切れないほど大量の本を積み上げ、さらに読書ペース以上にどんどん本を買い続ける。これは金の無駄だし、置き場の無駄でもある。でも、よく考えてみよう。積み重なった本には一見したところ何の意味もないようだが、そこには本の重みがある。一冊一冊は軽い本でも、積み重なれば床をたわめて、建物の骨格を歪め、下の階のドアの建て付けを悪くする効果が見込めるかもしれない。うまくいけば、密室に人を閉じこめることも可能だ。もちろん、本の重みで床が抜けてしまったら逆効果だが、何でも度が過ぎれば悪影響が出るものだ。これをもって積ん読の害を説くのは詭弁というもの。少々の無駄は大目にみようではないか。
そして「ムラ」。印刷のむらは許せないが、読書意欲やペースのむらはやむを得ない。別にいいことだとは思わないけど、そう言ってしまうと「読書に大事なムリ・ムダ・ムラ」という見出しが嘘になってしまう。何かいいところを探してみよう。ええと、むらがあったほうがないよりもいい場合……んーと、何かメリットがあればいいのだが……むむむ、思いつかない。全く何も思いつかないではないか。
ごめん。誰か代わりに考えて!

*1:ただし、趣味の読書に限る。仕事や勉強の都合でいやいや仕方なく本を読むときには、やはり「ムリ・ムダ・ムラ」は少ないにこしたことがないと思うので。