「DNA」についてぼやいてみる

最近、「DNA」という言葉をデオキシリボ核酸と関係なく比喩的に用いる例が増えていて、ちょっと気になっている。たとえば、「DNA」と「継承」で検索すると、伝統とか気風とか慣習*1という意味で「DNA」を使う例のほうが、本来の意味での用例よりずっと多い。
言葉を比喩的に用いることがいけない、などと無茶なことを言う気は毛頭ないのだが、科学用語から本来の意味を剥奪しつつ、「なんとなく科学っぽい雰囲気」だけを残して転用するのは、なんだか狡くていかがわしい感じがする。
このいかがわしさは血液型性格判断など一連の疑似科学的主張にも通じるのではないか。うまく説明できないけれど。
と、ここまで書いたところで思い出したのだけど、先月だったか先々月だったか、NHKの朝のニュース番組を見ていると、北海道で冬の間に貯蔵した氷や雪のエネルギーを活用したスケートリンクや野菜保冷庫などが紹介されていたことを思い出した。「氷や雪のエネルギー」って……。

追記

一日も経たない間にブクマが34もついていてびっくりした*2。だが、それよりもっとびっくりしたのは、DNA - Living, Loving, Thinkingで紹介されている『恋愛結婚は何をもたらしたか』の一節だ。
石原慎太郎か!
実は、上の記事を書いたきっかけは、これでして……。類は友を呼ぶというか、この知事にしてこの副知事ありというか。

*1:特に美習。

*2:たいして驚くほどの数かもしれませんが、「一本足の蛸」の記事の中では今のところ最大値です。