もの −広瀬正の同名作品に基づくショートショート−

「はて、面妖な?」
江戸城中に降って沸いたように現れた、そのものを手に取った幕閣たちは一様に首を傾げた。南蛮渡来の舶来品を見慣れた彼らにとっても、そのもの−掌にのるくらいの大きさで卵を半分に切ったような形のもの−が何であるのか全く見当がつかなったのだ。
「これは玉の一種ではありませんかな」と儒学者は述べた。「古来より唐国の王侯が珍重する玉の中には、相当奇妙な形のものもあると聞きます」
「いやいや、玉を紐で結わえるなどということはありますまい」と反論したのは兵学者だった。彼が言うとおり、そのものの胴回りは紐でぐるぐる巻きにされており、紐の余りが三尺ほどある。「これは、紐の端を持って振り回して用いる武器に違いありませんて」
「何を仰せか。見よ、紐の先がちぎれているではないか。この紐の先は何かに結びつけられていたのであろう」と蘭学者が言う。「見なされ、このものを裏返すと怪しげな光を発しておる。これは南蛮人が用いる照明器具ではないか」
「いや、南蛮人がこのようなものを用いるという話はとんと聞かぬが……」
「それに、この程度の光では、夜闇を照らす役を果たすことは無理ではないか」
むむむ、と一同が腕組みをしたとき、一人の本草学者が「これは我らの手に負えぬ。儀右衛門を呼ぼうではないか」と言った。儒学者兵学者も蘭学者も不平そうな面持ちであったが、反論すること能わず、直ちに京へと密使が飛んだ。
幕府の密使が携えた書状を、滞在先の土御門家で受け取った儀右衛門は直ちに江戸へと向かい、一月後には老中の命により再び参集した江戸の学者の面々の前で、ものを検分することとなった。儀右衛門はおよそ三十ミニュートもの間、ものをじっくりと観察した後、おもむろに口を開いた。
「拙者の見立てでは、これは未来人が『こんぴゅーた』と申すからくを操作するときに用いる『まうす』なる道具によく似ておるが……しかし、この紐の意味がよくわからぬ。ついては、未来人を招いて詮議すべきかと存ずる」
儀右衛門が発明した航時機で江戸城中に呼び寄せられた未来人は、目をぱちくりさせてあたりを見回した後、ものを手にとって、こう言った。
「ええと、田中先生がおっしゃったとおり、これは確かにマウスです。ですが、ただのマウスではなく、コードレスマウスという種類のものですね。『コードレス』というのは『紐なし』という意味です」
「紐なし、とな?」と若年寄の一人が問う。「だが、それには紐が巻き付いているではないか」
すると未来人は「コードレスだと紛失しやすいので、紐を巻き付いて何かに繋ぎ止めていたでしょう」と答えた。

あとがき

長らく品切れ状態だった広瀬正小説全集が復刊されることとなり、今月、その第1巻『マイナス・ゼロ』が書店に並んだのを見て感激し、ついふらふらと衝動的にこんなのを書いてしまった。
「もの」は第6巻『タイムマシンの作り方』に収録されている。1ヶ月1冊のペースで順番に刊行されるとすれば12月に出るはずなので、見かけたら是非買ってください。