これも時代の流れか……

結論から言うと、東京から九州方面への寝台列車の需要は必ずあり、北海道方面の寝台列車同様高級化路線で差別化すれば十分に採算に乗せる事ができた。近年ブルートレインの乗車率が低下したのは、設備投資を一切せずに陳腐化した車輌により惰性で続けていたからに過ぎない。

ここには3つの主張が含まれる。

  1. 東京から九州方面への寝台列車の需要は必ずある。
  2. 高級化路線で差別化すれば採算に乗せる事ができた。
  3. 乗車率が低下したのは陳腐化した車輌により続けていたからに過ぎない。

1には全く同意する。時間がかかってもいいから寝て移動したい、とか、寝台列車という非日常の空間で旅を楽しみたい、という需要は必ずあるに違いない。
しかし、2はどうか。採算というのは要するに投入した費用と収入との関数であり、どの程度列車に投資すればどの程度の収益が見込まれるのかということについての背景情報がないことには何とも判断できない。情報不足なので、判断を差し控えたい。ところで、北海道方面の寝台列車って採算とれているの?
で、全く同意できないのは3だ。陳腐化した車輌のせいで客を逃がしたという側面はもちろんあるだろう。しかし、寝台列車が長距離移動の主役を担っていた時代に比べれば、空路も道路も目覚ましく発達していて、その時代の流れ寝台列車から客を遠ざける主要因だったのだろうから。一歩譲って、車輌の陳腐化のほうがより大きな要因だったとしても、「に過ぎない」という言い回しですっぱりと外的要因を振り捨ててしまうのはいかがなものか。

企業経営の理論に対して批判の余地が許されない昨今の情勢であるが、そんなことのために日本の観光資源の有力ツールが潰されるのである。

本当に「時代の流れ」という言葉を以って我々は無批判でいいのか?かつて路面電車が「時代の流れ」という無責任な言葉の中次々と廃止された事実を忘れてはいけない。

路面電車の廃止は(どちらが原因でどちらが結果かということはさておき)自動車依存型社会の進展と密接な関係があり、後者は近年さまざまな観点から批判に晒されている。一方、寝台列車の廃止に伴うデメリットがここで挙げられているように「日本の観光資源の有力ツールが潰される」ということだけなのだとすれば、それは大した問題ではない。我々は無批判でいい、と言ってしまうと語弊があるかもしれないが、少なくとも優先度がより高い課題が山ほどあることは確かなのだから。