文化はDNAに組み込まれていない

不思議な記事を読んだ。

キンカチョウ(英名はZebra Finch)は、通常はその複雑な求愛の歌を父親から習う。しかし独力でも、わずか数世代を経るだけで、自発的に発展させて同じ歌を歌うようになることがわかった。

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Mitra氏の研究チームは、隔離された鳥が独自の集団を作ったときに何が起きるかを突き止めようとした。予想されたとおり、防音装置を施した箱の中で育てられた鳥たちは、耳障りな歌を歌うようになった。

続いて研究チームは、この隔離された鳥たちに、新しく孵化した幼鳥に対する「歌の教育」を行なわせた。その結果明らかになったのは、幼鳥たちが真似た歌は、少し調整が加えられて、野生の状態で聞かれる歌に近い形になっていたということだった。これらの幼鳥たちが成長して教える側になったとき、学ぶ側の鳥たちの歌でも引き続き同じことが起きた。少し調整されたのだ。

3世代から4世代を経ると、若いキンカチョウたちは普通に聞こえる歌を力強く歌いあげるようになった。

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「この変化は非常に速く起きたうえ、隔離集団と1対1での教育環境との間にほとんど違いがなかった」と、今回の論文の主執筆者であるOlga Feher氏(ニューヨーク市立大学シティカレッジ)は述べる。「従って、この過程はかなりの部分が生来のものだ。1世代では似た歌になるだけだが、表現型[ある生物のもつ遺伝子型が形質として表現されたもの]の出現には3〜4世代が必要という点も興味深い」

実験結果は明らかにキンカチョウの歌が学習の成果であることを示している。親の世代から隔離されて育った世代が普通に歌えないということ、世代を経るに従って歌がどんどん上手くなるということ、それらはキンカチョウが普通に歌う歌がDNAに組み込まれていないということの、決定的とまでは言えないにしても、極めて重要な証拠と言えるだろう。
それなのに、どうして「文化は、かなりの部分がゲノムに組み込まれていること」に繋がるのか理解に苦しむ。
「表現型の出現には3〜4世代が必要」と主張したいのなら、隔離第二世代を第一世代から隔離して育て、さらに第三世代を第二世代から育てて、歌が上手く歌えるようになるかどうかを観察してみればよかったのではないかと思うのだが、そのような対照実験は行ったのだろうか?
古い知人に薦められて、今、『本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源』という本を読んでいるのだが、そこでこんな警句が紹介されている。

「重要なのは、”動物が隔離されているか”ではなく、”何から隔離されているか”だ」

これは、ダニエル・レーマンという発達生物学者が、コンラート・ローレンツに対して行った批判の一節*1だそうだ。前後の文脈がわからないので、この警句がキンカチョウの事例にあてはまるのかどうかは不明だが、いちおう参考まで。
それはともかく、『本能はどこまで本能か』は非常に面白い本なので、みんな読むといいよ!

*1:『本能はどこまで本能か』巻末の参考文献一覧によると、出典は Lehrman,D.S"A Critique of Konrad Lorenz's Theory of Instinctive Behavior."The Quarterly Review of Biology 4(1953):337-63 ということなので、興味と暇のある人は参照されたい。初出誌を探すのは大変だろうが、今調べてみると、この論文は『Foundations of Animal Behavior: Classic Papers With Commentaries』という本に収録されているようだ。同題異文だったらごめん。