「ボランティア募集」への違和感

大阪市天王寺区が、無報酬の広報デザイナーを募集したところ、抗議が殺到して中止したそうだ。

これらの記事から適当にまとめてみた。変なまとめになっていたらごめんなさい。

  1. 従来、天王寺区では職員がポスターやチラシなどのデザインを制作
  2. 昨年就任した新しい区長が広報デザインへの民活導入を発案
  3. 2月4日に「天王寺区広報デザイナー」の募集開始
  4. 天王寺区広報デザイナー」への抗議殺到
  5. 2月6日に「天王寺区広報デザイナー」を「天王寺区デザインパートナー」へと変更
  6. 依然として抗議継続
  7. 3月1日に「天王寺区デザインパートナー」の募集を中止
  8. 3月1日に「ワークショップ〜デザインと天王寺〜」の開催を告知

7と8は同じ日付だが、「ワークショップ〜デザインと天王寺〜」が当初から予定されていたものか、それとも抗議を受けて募集取りやめに追い込まれる過程の中で出てきた企画なのかは不明。ワークショップの会場が区役所の講堂であることから考えれば、後者ではないかと想像したくなる*1が、別の事情によるものかもしれないので断定はしない。
さて、無報酬デザイナーの募集についてこんな意見を見かけた。

頑張って書いているなぁ、と感心したのだが、1点考察から抜け落ちているところがある。
それは、今回の一件が役所に関わる事柄だということだ。

この国では、憲法法律に背かない限り、自由意思に基づく契約は有効だよね。

別に雇用契約ではないから最低賃金の規定もないわけだし。

その人は、なんだ無報酬を強いられたわけでもないのに、

自由意思に基づいて契約するだけなのに、なんで第三者が口をはさむの?

確かに日本には契約原則の自由というのがあって、当事者どうしの合意による契約に対しては国家は干渉してはならないことになっている。ただし、これは、第三者が契約に口をはさむことを一般に禁止するものではない。国家権力を持たない者が契約に異議申し立てを行ったところで、別に契約の効力には何の影響も与えないのだから、禁止する必要もないし、いちいち禁止していては逆に自由を侵害することになる。あ、もちろん契約に基づく行為を実力で妨害しちゃだめですよ。それは「口をはさむ」のとは別のこと。
でもって、契約の当事者の一方が役所である場合には、その性格上、第三者が口をはさむことも多くなるだろう。「区民の税金が……」などと言いたいわけではない*2。問題はいわゆる「税金の無駄遣い」に象徴されるような公会計の領域にとどまらない。もし税金云々だけが問題なのだとすれば、ふつうはお金を払ってデザインしてもらうところを無報酬ですませるのだら経費節約になって結構なことだ、という話で終わってしまうだろう。
だがしかし、現実に抗議が殺到して募集は中止に追い込まれた。「殺到」というのがどの程度のものなのかは不明だが、区役所が無視できない数だったのは確かだろう。また、単に数が多いだけでなく、そこに何らかの道理が含まれていたから、区役所は予定を変更せざるを得なかったのだ。なぜなら、役所とは道理に反したことができない/やってはいけない組織だからだ。
今回の無報酬デザイナーの募集が、契約自由の原則の例外となるほど公序良俗に反していたということはないだろう。民間企業なら抗議が来てもそのまま続行していたかもしれない。というか、そもそも抗議なんか来ないのでは? でも役所は違う。役所がやることが道理に反すると思う人がいれば、それが合法であったとしても抗議の動きが起こるだろう。
では、今回の事例で何が道理に反していたのか? 「労働に対する正当な対価」? 「業界の疲弊」? いや、それ以前に根本的な理念のレベルで大いに違和感があるではないか。

大阪市天王寺区役所では、「天王寺区デザインパートナー」として、広報活動にボランティアでご協力いただける方を募集します。

これを次の記述と見比べていただきたい。

ボランティア(英: volunteer)とは、ボランティア活動に携わる人のことである。ボランティア活動は、古典的な定義では自発(自主)性、無償(無給)性、利他(社会、公共、公益)性に基づく活動とされるが、今日ではこれらに先駆(先見、創造、開拓)性を加えた4つをボランティア活動の柱とする場合が一般的となっている。

【略】

動員・勧誘・強制を受けての活動への参加は本人の純粋な自由意志に基づかないのでボランティアとは言えないが、日本では奉仕活動の同義語、無償労働の意でボランティアという語を用いる場合もある。

役所の広報活動は観念的には公共の福祉の増進の一環であるとしても、震災ボランティアなどとは明らかに性質の違う活動であることは誰でも知っている。そんな活動に対して「ボランティア」を募ることに対する違和感がベースにあって、それがたまたま噴出したのが今回の出来事だったのではないか。穿ちすぎかもしれないが、そう思えてならないのだ。
なお、誤解のないように書き添えておくが、今回の出来事が大阪市で起こったことだから、民間出身の区長の発案だから、といって特定の政治勢力を批判したいわけではない。これほどわかりやすく表面化したケースは少ないかもしれないが、同様の発想は全国どこの役所でも見られることだ。しかも近年の財政難を背景に勢いがどんどん強まっているように見受けられる。一概に否定することもできないのだが、少し気になることもあるので、この機会にあえて「道理」という古めかしい言葉を使って駄文をしたためた次第。

追記

上の文章を書いたあとでこんな記事を見かけた。

今回、無報酬で仕事を募集することを悪だと思うかどうかばかりがクローズアップされてしまっていますが、私の立場からすれば問題はそこではなくて「デザイン職」という仕事を無報酬でも十分に可能な仕事とごくナチュラルに考えてしまっている頭がムカつくのです。

敵を増やすつもりで言えば、この問題を批判するときにコックやや市職員やら他の仕事を同立なものとして並べてしまったことで、余計に論点がぼけてしまった感があるので、その点非常に残念に思います。

これは問題の焦点が「デザイン職」だという意見。問題は「役所」の特殊性にある、という私見とは全く異なる観点からの文章だが、自分が知らない業界の実状をよく説明してくれているので大変参考になった。

*1:予め企画していたことなら、もっと広い会場を使いそうなものなので。突然降って湧いた話で会場の手配も会場使用費の工面もできなかったのではないだろうか?

*2:そもそも大阪には区民税など存在しない。