老婆の森の家
- 作者: 井上雅彦
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2005/08
- メディア: 文庫
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悪口を言うのも愛の為せる業だ、と本人は弁明する。だが『すたんだっぷ風太くん!』を見送った程度の愛の、なんと薄っぺらいことか! 672文字*1のために840円を擲ってこそ、真に桜庭一樹を愛しているといえるのではないだろうか? 1字につき1.25円だ。
先日、件の知人が『オバケヤシキ』*2所収の「暴君」について、かなりネガティヴな感想を漏らした。名作『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』と共通する世界観の作品*3だが、知人によれば、「『砂糖菓子』の縮小再生産に過ぎず、何ら新味がない」ものだという。そのコメントを聞いて、俄然興味を惹かれ、ただ桜庭一樹の作品を読むためだけに『オバケヤシキ』を買ってきた。奇しくも『すたんだっぷ風太くん!』と同じ840円だった。*4
そして、「暴君」を読んでみた。
「異形コレクション」シリーズを1冊でも読んだことのある人ならおわかりだろうが、このシリーズは必ずしもホラーばかりを収録しているわけではない。「ホラー」をどのように特徴づけるかによっても話が異なるが、仮にやや広めに「超自然現象によって引き起こされる理外の恐怖を主眼とする小説」*5と特徴づけたとしても、その枠組みに入らない作品も多数収録されている。従って、「暴君」が異形コレクションにおいて特に異色な作品だということはない。
ただ、読み手側の勝手な希望としては「せっかくの機会なのだから、真正面からホラーを扱って欲しい」という思いがあり、蓋を開けてみれば「いつもの桜庭一樹」なので若干拍子抜けしたような気分になるというのもわからないでもない。そこで「『砂糖菓子』の縮小再生産」という感想に至ったのだろう。だが、よく読めば決してそうでないことがわかる。
『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』と「暴君」には大きな相違点が少なくともふたつある。ひとつは構成の緊密度の違いだ。『砂糖菓子』を堅牢な城だとすれば、「暴君」は川原の葦の群生だ。シーンとシーンの隙間に何か曰く言い難いものが潜んでいるような、そんな雰囲気がある。この点では、むしろ『推定少女』に近いと言えるかもしれない。
もうひとつは、モティーフの違いだ。「暴君」は基本的には『砂糖菓子』の主要モティーフを受け継いでいるのだが、その他にもうひとつのモティーフがある。そのモティーフにより、「暴君」には文字で描かれた騙し絵の趣きさえある。*6
ところで、「暴君」には奇妙な空間の歪みがある。主人公は島根県益田市に住み、山陰本線の電車に乗って県庁所在地の松江市にある中学校に通っているという設定になっているのだが、益田市と松江市は同じ島根県といっても端と端で相当距離が離れていて、普通列車*7なら3時間以上もかかる。救急車ならもう少し速いかもしれないが。
『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』で境港市に実在しない路面電車を走らせた桜庭一樹のことだから、もちろん「暴君」の空間の歪みもミスなどではなく、意図的なものだろう。たぶん『黒死館殺人事件』の
さて、感想らしい感想を全然書いていないのだが、今から改めて感想文を書くとここまでの文章とうまく繋がらないので、もうちょっとだけ雑談して締めくくることにしよう。
先ほど、ニュースサイトをいくつか巡回していたら、Yahoo!ニュース - 時事通信 - ムンクの「叫び」はもう戻らない?=強奪から1年という記事が目にとまった。2004年8月22日にオスロのムンク美術館から「叫び」が強奪されて今日で一年になる。そこで何となく連想したのだが、桜庭一樹の小説はムンクの「思春期」と雰囲気が似ているように思う。といっても実物を見たことがあるわけではないのだが。
ああ、そういえば桜庭一樹も写真でしか見たことがないな。今度のサイン会に行ってみようかなぁ。でも、東京は遠い……。
*1:句読点及び各種記号込み。ただし、感嘆符等に続くスペースは除く。数え間違えていたらごめん。
*2:上では朝松健が作者になっているが、これはアンソロジー「異形コレクション」シリーズの1冊で、編者は井上雅彦。基本的な書誌データが不十分なのは困ったものだ。
*3:編者の紹介文では「後日談」という語が括弧付きで用いられているが、文字通りの意味で後日談だというわけではない。
*4:もちろん、桜庭一樹含有量は『すたんだっぷ風太くん!』に比べればずっと多いのだが、さすがに字数を数える気にはならなかった。……愛が足りない。
*5:もちろん、これは「ホラー」の定義ではないし、定義のための叩き台になるかどうかすらあやしい。
*6:何のことを言っているのかわからない人は、有名な騙し絵をいくつか思い浮かべてほしい。「ルビンの壺」「アヒルウサギ」そして……。