叙述トリックについてのおぼえがき

叙述トリックとは?

はじめに言葉があった。言葉は「語り」であった。「語り」は「騙り」でもあった。語りによる騙り、それが叙述トリックである。

三人称にみせかけた一人称

かつてウィトゲンシュタインは「高度に発展した独我論実在論と見分けがつかない」(意訳)と言った。これは、一人称の主観描写を徹底させると、三人称の客観描写と区別がつかなくなるということで、後にこの原理を応用したトリッキーなミステリが多く書かれるようになった。残念ながら、それらの作品群が登場する前にウィトゲンシュタインは没したので、彼の感想をきくことはできないが。

品詞の誤認

名字が「奥」の人は他人から「奥さん」と呼ばれることが多い。これを利用して叙述トリックを仕掛けることができる。同じことは名字が「旦那」の人でも可能だ。ただし、「奥」という名字の人は数多いが、「旦那」という人が現実にいるのかどうかは知らない。小林信彦の小説には旦那刑事*1が登場するけれど。

『荒涼館』と『月長石』

『荒涼館』が綾辻行人の某長篇の先取りであり、『月長石』がクリスティの某長篇の先取りであることはよく知られている。ただし、両作品で用いられている仕掛けを「叙述トリック」と呼んでいいものかどうかは疑問だ。ミステリの文法が確立した後に、それを逆手にとって読者を騙すために開発された技法が叙述トリックだという見方をすれば、『荒涼館』や『月長石』の時代にはまだ叙述トリックはなかったことになるので。

*1:鬼面警部の部下。これは鮎川哲也の鬼貫警部と丹那刑事のコンビをパロディ化したもの。