つまらない話

昔話の「わらしべ長者」の面白さは、ほとんど無価値な一本のわらしべからスタートして、交換を繰り返すことで莫大な富が得られるというもので、これを思いっきり要約すれば「反復・拡大の面白さ」といえるだろう。
では、スタートとゴールは同じままで中抜きをすればどうなるだろうか?
言うまでもない。とことん味気なくつまらない物語になるだろう。いや、むしろ非-物語とでもいうべきか。
で、その非-物語を実際に書いてみたのが、早書き小説「わらしべ長者」だ。これはわずか10分程度で書いた。今から考えれば「早書き」ではなく「速書き」だったのではないかという気もするが、今さら変えられないし、これはタイトルの一部だからいいのだ。そういうことにしておこう。予想通りつまらない小説になってしまった。
さて、書き終えた後で、このアイディアはもう少しふくらませることができるのではないかと気がついた。たとえば「人は物語のない人生に耐えられるか?」というような文学的なテーマを盛り込むのもいいかもしれない。だが、文学のことはよくわからない。そこで別の方向を探って思いついたのが以下のストーリーだ。

一本のわらしべから身を起こした長者の話が世間に広まり、一人のぐうたらな若者が自分も同じように長者になりたいと思い、特に神仏への信心が篤いわけでもないのに観音様に礼拝したところ、一本のわらしべを授かる。そこに件のわらしべ長者が現れ、「自分の全財産を譲るのでわらしべを譲って欲しい」と若者に言う。わらしべ長者はもう一度、無一文の状態から人生をやり直してみたくなったのだという。若者は喜んでわらしべを譲り、二代目わらしべ長者となる。
長者になりたいという願いが叶ったものの若者の心は満たされない。初代わらしべ長者が今まさに二度目の冒険の真っ最中だという話を人から聞き、うらやましく思う。そんな時、夢に再び観音様が現れたので、若者は不満をぶつける。「そなたの願いは長者になることだったはず。何の不満があろうか」「いいえ、観音様。私が間違っていました。もう一度やり直しさせてください」「では、目が覚めたときにそちの右手に握られているものを大切に扱うがよい」
若者が目覚めると、まわりは焼け野原となっている。若者の栄華を恨んだ村人に火をつけられ、夜のうちに長者屋敷が燃えてしまったせいだ。観音様の御加護で幸い身体には火傷一つないが、財産はすべて灰になってしまっている。ただ、なぜか若者の右手には一本の棒が握られていて、その棒の先には金具を取り付けられている。鍬だ。
若者は心を入れ替え、その鍬で朝早くから夜遅くまで働いた。後に初代わらしべ長者が若者を訪れたとき、その屋敷の裏の納屋にはぎっしりと稲わらの束が詰まっていたとさ。めでたしめでたし。

……とまあ、こんなストーリーだ。これで小説を書けば、早書き小説「わらしべ長者」よりは読めるものになっただろう。タイトルは「もう一人のわらしべ長者」くらいが適当か。でも書かない。いろいろ考えている最中に、『星月夜の夢がたり』に似たような話があったことを思い出したからだ。