「11人のサト」と「まんたんブロード」

まえがき


米澤さんへのインタビュー及びQ&Aが40ページばかり載っているので(おおよそ冊子の半分)、ファンとして買って損はないと思う。他の記事はわりとどうでもいい気がしないでもないのだけど(例えば「11人のサト」に言及したいのか、まんたんブロードに言及したいのか、在所の鉄道事情に言及したいのかよくわからない記事とか。……これはまんたんブロードを読んだことがない者の嫉みのような気もしないではないのだが)、最後に載っている石野休日たちによる短編「ティンクルシスタースプライツ(仮)」はとりあえず最高だ。
【略】
とりあえず、米澤穂信ファンであれば400円分くらいは愉しめるであろう。
米澤穂信および石野休日ファンであれば600円分くらいは愉しめるであろう。
あとの百円はほかの人の分だと思う。分量的にもそんな感じだ。*1
む、む、むきーっ!
構想1ヶ月、執筆2週間の労作*2だったのに……。
このままでは白翁氏の「書いたもん勝ち」になってしまいそうなので、上で言及されている拙稿を全文掲載する。手直しするとフェアではないので、文面は全く弄らず、少しコメントを追加する程度に留めた。
みんなの感想、訊いてみたい。

1

 米澤穂信の最新作「11人のサト」について語るには、まず掲載紙「まんたんブロード」の紹介から始めなければならない。
まんたんブロード」は毎日新聞社が発行している無料の情報紙である。二〇〇三年一一月*3創刊後、第四号まではコミケットコミティアなどのイベントに合わせて不定期刊行されサークル参加者などに参加されてきたが、〇四年一〇月三日発行の第五号から月刊となり、同年一一月二五日発行の第七号から毎月二五日発行となった。また、〇五年五月発行の第一二号でブランケット版からタブロイド版へのサイズ変更、〇六年四月発行の第二三号で表紙絵を創刊号以来の御船麻砥からひびき玲音白亜右月いとうのいぢの月替わりへと変更している。
 当初の配布先はアニメイトを除けば東京近辺の書店のみだったが、その後順調に配布先は増えて、〇六年六月現在*4の「まんたんブロード」配布先は全国五八〇ヶ所となっている。ただ、東京本社発行のせいか配布先が東京近辺に偏っている感は否めない。たとえば東京の臨海地域を結ぶ新交通システムゆりかもめの全駅が配布先となっているのに、名古屋近郊の桃花台新交通の駅では全く配布されていない。また、一般の鉄道駅での配布は皆無である。情報の地域間格差緩和のためにも、ぜひ神岡鉄道全駅での配布を提唱したい。
 さて、「まんたんブロード」は「アニメ・マンガ・ゲームの無料情報紙」と銘打っているが、最近、一部のライトノベル読者の間で脚光を浴びつつある。これは、細谷正充、三村美衣乙木一史、大塚和重など*5、近年のライトノベルブームの仕掛け人や立役者とも言える人々を積極的に起用し、書評やコラムを掲載しているからである。○五年六月発行の第一三号では「ライトノベル進化論」と題する特集が組まれている。また、自身も記事を執筆する毎日新聞社デジタル・メディア局員の渡辺圭は人脈を生かしたネタ取りに定評があり、その活動に注目するライトノベル愛好家*6もいる。さらに書評やコラムだけでなく、人気ライトノベル作家桑島由一の代表作の一つ「神様家族」の番外篇を〇四年一二月発行の第八号から〇五年三月発行(実際に配布されたのは四月四日)の第一一号まで四回にわたり連載し、「日本史上初の新聞へのライトノベル掲載」として注目を集めた。
 そして「まんたんブロード」が二度目のリニューアルを行った第二三号において、タカムラマサヤのエッセイマンガ「教えてメンター!」とともに始まった鳴り物入りの新連載、それが作・米澤穂信/画・TAGROコンビによる異色作(もっとも、TAGROにとっては別に「異色作」ではないかもしれないが……)「11人のサト」である。

2

 本稿執筆時点では「11人のサト」はまだ第三話までしか発表されていないので、まだその全体像は明らかではないが、「まんたんブロード」編集部公式ウェブサイト「まんがたうん*7及び米澤穂信公式ウェブサイト「汎夢殿」並びにその他の情報を総合すると「11人のサト」は「二ノ宮サト」という同名の少女が登場する連作ショートショートで、全一二話を予定しているという。既発表の各話の内容については後に触れることとして、まずはこの連作の特異性について述べることにしよう。
 第一に、この作品がショートショートという特異な形式をとっているということ。ショートショートというだけで「特異な形式」だと述べるのは正直いって心外だが、ここ十数年の小説界の動向を見る限り残念ながらショートショートは極めてマイナーな文芸形態であることは否定しようがない。ショートショートの世界』(高井信集英社新書/二〇〇五年九月)の「まえがき」から引用する。


 一九七〇年代から八〇年代にかけて、ショートショートは一種のブームの様相を呈していました。多くの作家がショートショートを書き、多くのショーショート集が出版され……。いま思うと、本当に夢のような時代でした。
 ところが、一九八〇年代の終わりごろからブームに陰りが見え始め、一九九〇年代にはいると一気に加速。今や、ショートショートという存在自体が世間から忘れ去られつつあるようです。
 世紀を超えてからもショートショートは細々と書き続けられ、たまにはショートショート集が刊行されることもある。たとえば『時間よ止まれ 平谷美樹ショートショート集』(ハルキ文庫/二〇〇五年)のように。だが、おそらくショートショートブームをリアルタイムで体験していたはずの平谷美樹と、一九八七年生まれの米澤穂信とを同列に論じることはできない。星新一ショートショート一〇〇一篇を書き上げ休筆した一九八三年には、米澤穂信はまだ学齢にも達していなかったのだから。
 米澤穂信ショートショート読書歴の詳細は不明だが、「汎夢殿」の「11人のサト」紹介ページには次のような記述がある。

 私が幼いころは、星新一の名の下に、良いショートショートが豊富に読めたものでした。『できすぎ』とか、懐かしいですね。
 ここで「星新一の名の下に」という表現が用いられているのは興味深い。もちろん米澤穂信星新一本人の作品を読んでいないということを意味するのではない。実作者としての星新一よりも「星新一ショートショート・コンテスト」の選者としての星新一のほうがより印象に残っているということだろう。「星新一の名の下に」現れた無数の星々のようなショートショート作家については詳述する余裕がないので、興味のある方は前掲『ショートショートの世界』を参照していただきたい。
 なお、ここで言及されている「できすぎ」は一九七九年の第一回「星新一ショートショート・コンテスト」(ただし、当時はまだ「星新一ショートショート・コンテスト」という名称はなかった)に投じられた吉沢景介の作品である。現在は『ショートショートの広場(1)』(星新一・編/講談社文庫/一九八五年)の巻頭に収録されている記念碑的な名作だが、一方で数年前にインターネット上の掲示板「2ちゃんねる」を騒がせた盗作事件でも知られている。あえてこの作品に言及しているのは米澤穂信独特のジョークである可能性もあるので、ここから米澤穂信ショートショート観について何らかの結論を引き出すのは避けたい。
「11人のサト」の特異性を示す第二の点は、この連作が概してダークな雰囲気をもっていることである。これは「日常の謎」を扱う青春ミステリの書き手として捉えられることの多い米澤穂信にしては珍しい作品である。人によっては相当意外に感じられるだろうし、作者名を伏せて読ませたら大方の読者はまず米澤穂信の作品だと気づかないのではないだろうか。
 米澤穂信の作品にはある種の陰鬱な色調が混じっており、それは<古典部>シリーズや<小市民>シリーズなどの「殺人の起こらない」ミステリにおいても垣間見ることができる。また、殺人を扱った初長篇『犬はどこだ』(東京創元社/〇五年)ではよりその傾向が顕著である。だが、暴力をストレートに扱った「11人のサト」はこれらの作品とは相当趣きが異なる。今後の米澤穂信の作風の変化については何ともいえないが、現段階では「11人のサト」を異色作だと言い切ってしまってよいだろう。
 このような特異性をもつ作品がなぜ突然現れたのか。その理由を完全に突き止めることはたぶん不可能だと思われるが、ここであえて一つの仮説を立てることとしたい。それは、「11人のサト」の特異性は「まんたんブロード」の特異性に基づくという仮説である。本稿を「まんたんブロード」の紹介から始めたのはそのためである。

3

まんたんブロード」の「11人のサト」掲載ページは一七字×三九行×六段なので、単純掲載で原稿用紙一〇枚弱。ここにTAGROのイラストが一、二枚挿入される。このスペースで小説を書くなら、ショートショートという形式が最も適していることは言うまでもない。桑島由一はこの形式を採らずに連載を行っているが、それは既に確立した設定とキャラクターを前提とした番外篇だからこそできることであり、そのような前提なしに月刊紙で連載を行うには一回あたり一〇枚足らずという制約はいかにも大きすぎる。
 では、内容についてはどうか。第一話から第三話までを通読すると、いずれもプロットに明確な捻りが見られ、その意味では典型的なショートショートの作法に則っている。だが、雰囲気は星新一的ではない。グロテスクで残虐で少しナンセンスなところもある独特の雰囲気を一言で言い表すなら「奇妙な味」ということになるだろうか。もしかしたら、一九九〇年代に一世を風靡したテレビドラマ「世にも奇妙な物語」の影響があるのかもしれない。少なくとも「まんたんブロード」という発表媒体を特に意識した内容ではない。にもかかわらず、この「発表媒体を特に意識した内容ではない」という事実こそが、「11人のサト」に「まんたんブロード」の特異性が影響を与えている証拠ともいえるのだ。
 ここで米澤穂信の作家歴を簡単に振り返ってみよう。最初の二冊、『氷菓』『愚者のエンドロール』の二作は当初角川スニーカー文庫<スニーカー・ミステリ倶楽部>から刊行された。続く『さよなら妖精』と『犬はどこだ』は東京創元社ミステリ・フロンティア>から、『春期限定いちごタルト事件』と『夏期限定トロピカルパフェ事件』は創元推理文庫から刊行されている。これらはすべてミステリ専門レーベルである。唯一、『クドリャフカの順番』だけが単行本として刊行されているが、これは『氷菓』『愚者のエンドロール』に続く<古典部>シリーズに属する作品なので、基本的には前二作と同じ制約下にある。*8
 もっとも<スニーカー・ミステリ倶楽部>はライトノベルレーベルであるスニーカー文庫のうちに設けられたレーベル内レーベルであるため、単純に「ミステリ専門レーベル」と特徴づけるのが適切かどうかについては若干の異論があるかもしれない。だが、ここでその点について争う必要はない。重要なのは、これらのレーベルがすべて特定の読者層を対象としていることを明示しているということである。もちろん、一般文芸でも全く読者層が無限定ということはないだろうが、ジャンル小説ライトノベルの媒体のほうが読者層の好みに沿うためにさまざまな制約が課せられることは言うまでもない。
 ライトノベルから非ライトノベルへと越境しつつも、一貫してミステリというジャンルの中で書き続けている米澤穂信。しかも、いわゆる「日常の謎」派の一員として捉えられているため、その種のミステリを好む読者への配慮も求められる。実際、『犬はどこだ』が発表された時、それまで米澤作品を微温的だとみていた人々からも高く賞讃された一方、この作品が「殺人を扱っている」というその一点において拒否反応を示した読者も少なくはない。もっともそれが悪いというわけではない。日常のちょっとした謎を巡るほのぼのとした物語ににひとときの気晴らしを求める読者が保守的であるのは当然だ。
 さて、ここまで述べれば「まんたんブロード」の特異性が「11人のサト」に大きく関わっていることは明らかだろう。「まんたんブロード」の主要な読者層は「日常のちょっとした謎を巡るほのぼのとした物語ににひとときの気晴らしを求める読者」ではなく、情報を貪欲に吸収し秩序づけたいという意欲をもったオタク層だ。このようなオタクが概して革新的であるとは決していえないし、オタクはオタクなりにどっぷりと固定観念に浸っているところもあるのだが、それはさておき、少なくとも米澤穂信の主たる読者層と「まんたんブロード」のそれとが大きく隔たっているということは断言できる。
 いつもの固定客の大部分は「まんたんブロード」という新聞があることすら知らないだろうし、ましてや天地がひっくり返っても連載中に神岡鉄道の各駅で「まんたんブロード」が配布されるようなことにはならない。「11人のサト」を読むのは極めて限られた熱心な米澤穂信ファンか、あるいは「米澤穂信」という名前に無関心な人々だけだ。前者の人々は既に米澤穂信が単なる「ほろ苦さの達人」ではないことを知っている。後者のうち「11人のサト」が気に入った人々は続けて読むだろうし、そうでない人は次から読み飛ばすだけだろう。いずれにせよ、極端な拒否反応を示すことはない。また、「まんたんブロード」は無料紙なので読み飛ばした読者が金銭的に損をすることもない。
 このような環境で、米澤穂信はいい意味で肩の力を抜き、これまで表に出さなかった一面をのびのびと発揮しているように思われる。むろん、手を抜いて書いているということではない。内容の制約は少なくても、枚数の制約は厳しい。その枠内でショートショートの面白さを最大限に引き出すための苦労がいかほどか、作者本人以外には決してわからぬことだろう。

4

 続いて、「11人のサト」第一話から第三話を概観しておくことにしよう。内容に踏み込むことになるので、未読の方はご注意願いたい。

第一話「左利きのLady」
ここではサトは女子校生かつ女子高生として登場する。姓は出てこないので「二ノ宮」ではない可能性もある。舞台は高校の教室で、サトにとっては平凡で退屈な日常だったはずが、ある一つの事柄に気づくことで非日常への扉を開く。ここには多数派と少数派の反転、理不尽な差別・迫害など、いくつかのモティーフが現れている。題材が「左利き」なので広瀬正の『鏡の国のアリス』を連想する人もいるだろう。ただし、「左利きのLady」では左右の物理的な反転は主題ではない。ラスト一文は「ペテロの否認」の現代版か。なお、タイトルが単数形なのは少々解せない。
第二話「脊髄少女」
第二話の舞台は通俗SFでお馴染みの怪しげな研究所。サトはそこに勤務する少女である。年齢は不詳だが、第一話のサトと同じくらいか。第一話がサトの一人称「あたし」で語られたのに対し、今回は三人称で視点人物ですらない。よって彼女の心理は読者にはわからない。無表情な彼女と対照的な「性格をもつ」別の人物が主人公だが、この対比こそがアイロニーのタネとなっている。主人公がサトの値踏みをする場面の一文がかなり微妙だ。後半のキーワード「分別」は別の語の婉曲表現として用いられているが、同時に第三話に直接繋がる語でもある。
第三話「それが非常識」
再びサトの一人称で語られるが、今度は「わたし」だ。年齢も第一話より少し上がっているようだ。おそらく大学生か専門学校生、もしかしたら高等専門学校生かもしれない。舞台はサトが住む学生アパートで、ここでの「非日常」は一つの黒い袋という形で現れる。袋の中身は言わずと知れた例のあれ。かくしてサトは第二話に引き続き「分別」を行う羽目に陥る。そこで彼女が漏らす感慨がこの作品のオチとなるわけだが、これは案外「ふつうの人」に共通の反応ではないだろうか。非日常を強引に日常に回収する滑稽さは、日常に非日常の謎を強引に読み込む滑稽さの裏返しでもある。

 以上、既発表の三話をざっと見たが、これまでのところ共通点は「サト」という名の女性が登場するということだけで、まだ連作全体を繋ぐものがあるのかどうかは見えていない*9。ただ、一作一作がショートショートのお手本のような構成を持ちながら、完結した小宇宙から何かはみ出すものがあるようであり、それが最後に回収されて別の世界を形成する可能性もある。
 あるいは、そのような創元的な連作スタイルの裏をかいて徹底的な世界の破壊が行われるのかもしれないし、もしかすると「まんたんブロード」の三回目のリニューアルにより突然連載が打ち切られるかもしれない。最後に述べた可能性は実現してほしくはないが、ともあれ現段階ではいかなる予断も禁物だ。今後しばらく注意深く同紙の動向を見守ってゆきたい。
 さて、「11人のサト」が無事一二回の連載を終えたとして、総枚数はたかだか一〇〇枚程度である。仮にもう一つのノンシリーズ作品「Do you love me?」(ただし、これはシリーズ化の構想があるらしい)を併録するとしても、まだ単行本一冊分にはならない。よって、「11人のサト」は「幻の作品」となることが予想される。「まんたんブロード」はいわゆる「灰色文献」であり、公共図書館などで閲覧することも困難だろう。
 だが、予想は決定ではなく予定ですらない。今は今の話を続けよう。
 配布場所は限られているとはいえ、「まんたんブロード」は比較的容易に入手できる。しかも無料だ。今なら「11人のサト」を読むのに大きな労力は必要ない。もし近くの書店などで「まんたんブロード」を見かけたなら、ぜひ手にとって「11人のサト」を読んでみていただきたい。これまであなたが知らなかった米澤穂信のもう一つの面がそこにある。
 米澤穂信にとって「11人のサト」は決して代表作ではないだろうし、こうやって主題的に取り上げられることすら不本意かもしれない。だが、作者の思惑を超えて作品は流通し、受容されるものだ。「11人のサト」にショートショート復権の萌芽を見ることも、無料情報紙の小説発表媒体としての可能性を見ることも読者の自由である。そして、米澤穂信の作風の広がりを見ることも。

あとがき

『「11人のサト」と「まんたんブロード」』を書いたのは6月下旬から7月上旬にかけての約2週間で、書き終えて編集人に原稿を送ったのちは全然読み返していなかったので、今日2ヶ月ぶりに読んでみたのだが、我ながら変なテーマを選んだものだと思う。
最初の予定では、こうではなかった。

幻の『さよなら妖精古典部ヴァージョンの謎を追う
現行の『さよなら妖精』は非シリーズ作品だが、どうやら当初は古典部シリーズの一作として書かれたらしい。でも、古典部シリーズは西暦2000年の話だし、『さよなら妖精』は1991年の話だから、いったい初稿版ではどんな設定だったのだろうか? この謎をとことん探究し、たぶん作者自身も考えていなかったはずのアレな「真相」を突き止めてみよう……という趣向だが、同人誌に寄稿する予定なので、ここでは公開しない。

これがなぜ『「11人のサト」と「まんたんブロード」』に化けてしまったのか。理由はこれだ。ぎりぎりまで粘ったのだが、どうやっても「マーヤ=関谷おじさん」説を上回るような奇抜な発想が出てこなかったので、方針転換したというわけだ。寝取られの偉い人には叶いませぬわい。

*1:文中の強調は引用者。それ以外は原文通り。「在所」という言葉の使い方が不明だったり、「400円」と「百円」が混在していたりするが、知ったことではない。

*2:こう書くとたいしたことがないようだが、ふだんこの日記で垂れ流している雑文のほとんどは数分から数時間で書いているので、これでも桁違いの労力を払っているのだ。

*3:原文は縦書きなので、数表現には基本的に漢数字を用いている。

*4:つまりこの原稿を書いていた頃。

*5:ほかにもライトノベル関係で「まんたんブロード」に執筆している人がいると思うが、手許にある号に名前の出ている人だけを挙げている。

*6:この人のことだ。

*7:この頃まだまんたんウェブは開設されていなかった。

*8:この文章を書いたときにはまだ『ボトルネック』は発売されていなかった。

*9:その後、第四話「夏爆弾」と第五話「Back-up you」が発表されたが、まだ全体像は見えていない。