日本に滞在する米澤穂信と名乗る男からの挑戦

上ではこの本のタイトルが単に「米澤穂信」と表示されているはず*1だが、奥付によれば「ユリイカ 4月号 第39巻第4号(通巻533号)」となっている。れっきとした「ユリイカ」本誌だ。増刊では西尾維新特集が組まれたことがあるので、今回の米澤特集もさほど意外ではないのかもしれないが、「詩と批評」と銘打たれた雑誌で、第12回中原中也賞の選評に続いて「ポスト・セカイ系のささやかな冒険」などと書かれているのをみると、そのギャップは隠しようもない。ちなみに、「ユリイカ」の前号の特集は、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」、次号の特集は「ル・コルビュジュエ」だ。いったい、どういう層の人々が「ユリイカ」を定期購読しているのだろうか? わたし、気になります*2
奥付のひとつ前のページまでで237ページのこの本のうち、75ページから223ページまでが特集記事となっている。フォントサイズやレイアウトを無視して、単純にページ数だけで計算すれば、全体の6割強だ。「ダ・ヴィンチ」や「活字倶楽部」、「野性時代」などの作家特集と比べても、少なくとも量的には充実しているといえるだろう。
では、質的にはどうか? その判断は人それぞれだが、米澤穂信に興味のある人なら、1300円を払っても損はしないのではないかと思う。記事一覧は、ここここを参照していただくことにして、個人的に印象に残ったいくつかの記事について簡単に触れておく。

距離と祈り、あるいは世界の多重化に関する覚え書き / 斎藤環
『日本に滞在するビン・ラディンと名乗る男からのビデオ』をマクラにしていて、意表をつかれた。この作品はいま森美術館笑い展に展示されている、非常に可笑しい映像作品だ。余談だが、この展覧会は、その名称から想像するほど笑える作品ばかりを集めているわけではない。
零度のミステリと等身大の世界 We cannot escape. / 佐藤俊樹
涼宮ハルヒ」シリーズとの比較はさほど突飛なものではないが、中盤以降どんどん暴走していく論理展開が楽しい。「ハルヒ」シリーズに登場するキョンのことを平仮名で「きょん」と表記しているのが奇妙だが、いったい何があったのだろう?
彼らは考えるだけではない / 松浦正人
氷菓』に的を絞った堅実で地に足のついた論考。ただし、註釈では少し羽目を外している。津町湘二とは!
米澤穂信のできるまで / 桂島浩輔
幻の『さよなら妖精古典部ヴァージョンを紹介しているという点でも貴重だが、ライトノベル・ミステリ小史の趣もあり、ラノベ読者にも一読をお薦めしたい。
互恵関係と依存関係 〈小市民〉シリーズについて / 古谷利裕
ハルヒ」シリーズに登場するキョンのことを平仮名で「きょん」と表記しているのが奇妙だが、いったい何があったのだろう?
シミュレーションの論理をめぐる五つの断章 / 福嶋亮大
米澤穂信vs.支倉凍砂

この特集では、さまざまな論者が多種多様な視点で米澤穂信について語っているのだが、誰ひとりとして『11人のサト』を主題的に取り上げていないどころか、そのタイトルにすら言及していない*3のが、妙に気になった。単に読んでいないだけなのか、それとも米澤穂信の「主要」作品群の中に正当に位置づけることができなかったのか。『11人のサト』論を期待していた*4ので、ちょっと残念だった。
これでひとまず「ユリイカ」米澤特集の感想はおしまい。ここで言及しなかった記事が、言及した記事に比べて見劣りするという意味ではありません。念のため。
あ、本人の短篇小説「失礼、お見苦しいところを」の感想がまだだった。でも、今日は時間切れなのでこの辺で。

*1:その後、タイトルの表示が「ユリイカ 第39巻第4号―詩と批評 (39)」された。3/29追記。

*2:この日記では地の文で一人称代名詞は使わないということにしているのだが、これは決まり文句なので例外とする。

*3:ただし、「米澤穂信全作品解説 / 前島賢」では当然のことながら『11人のサト』も紹介している。

*4:実は「距離と祈り、あるいは世界の多重化に関する覚え書き / 斎藤環」で提示されている、あるキーワードが、そのまま『11人のサト』最終話と直結している。『11人のサト』最終話が掲載された「まんたんブロード」vol.34は3月25日に発行されたばかりなので、筆者は当然それを読んでいないはずだが、もしそれを読んだ上で議論を構築していればより興味深い論考となったことだろう。