斜め読み『赤朽葉家の伝説』(1)-長い墜落-

赤朽葉家の伝説

赤朽葉家の伝説


1986年(昭和61年)12月28日午後1時25分頃、香住駅より浜坂駅へ回送中のお座敷列車「みやび」が日本海からの突風にあおられて鉄橋中央部付近より機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落した。転落した客車は橋の真下にあった水産加工工場を直撃し、従業員であった主婦5名と乗務中の車掌1名の計6名が死亡、客車内にいた日本食堂の従業員1名とカニ加工場の従業員5名の計6名が重傷を負った。

はじめに昔話から

わたし*1が某特急列車の車内販売のアルバイトに従事していたのは今から10年以上前のことだった。当時既に日本食堂は分割されており、西日本旅客鉄道エリアを受け持つのはにっしょく西日本という会社*2だったが、そのにっしょく西日本の某営業所に「シェフ」と呼ばれる中年男性が勤務していた。シェフと直接言葉を交わしたことは数えるほどしかないが、販売用の幕の内弁当のほか、車内販売員のまかない弁当の調理も受け持っており、その点では大変お世話になった。
特急列車に必ず食堂車が連結されていた時代を知る古参社員に言わせれば鉄道はすっかり衰退したそうだが、それでも当時はまだ今に比べれば勢いがあり、繁忙期に臨時列車が走ると営業所長から経理係まで内勤職員も総がかりで弁当を売って売って売りまくっていた。しかし、シェフだけは決して列車に乗らなかった。
その理由をわたしが知ったのはアルバイトを初めて1年くらい経ってからのことだった。シェフは余部鉄橋の事故の生き残りだ、とアルバイト仲間の先輩が教えてくれたのだ。もっとも、その先輩は平気で嘘をつく人だったし、わたしはシェフ本人に直接尋ねたわけではない。また、今となってはシェフの名前も忘れてしまったので、確かめようもないことではある。
それから10年以上の歳月が過ぎ、余部鉄橋列車転落事故から数えれば20年が経過した2006年12月28日、『赤朽葉家の伝説』が出版された。今から考えれば、これはかなり驚くべき偶然ではある*3のだが、その日わたしは特にこの事故のことを意識せずにこの本を購入した。そもそもこの事故が発生した正確な日時を知らなかったのだから、意識しようもない。そして、あるページまで読み進めたところで思わず「あっ」と声をあげそうになった。
その次第を語るには、まず11月上旬に話を戻さなくてはならない。

桜庭一樹読書日記」の、すこしふしぎな記述

東京創元社Webミステリーズ!で2006年3月から「桜庭一樹読書日記」*4が連載されている。毎回、わたしが知らない本やタイトルは知っていても読んだことがない本が大量に紹介されていて、しかも、そのどれもが非常に面白そうに語られているので興味をそそられる。興味はそそられる。だが、大量に紹介された面白そうな本のほとんどをわたしは一生読まずに過ごすことだろう。そう思うと溜息が出てくるのだが、それはまた別の話。
さて、その「桜庭一樹読書日記」の2006年11月更新分にすこしふしぎな記述があった。以下、引用する。


 東京から、いろいろ用があって編集さんたち三人がゾロゾロやってくる。【略】
 飛行機なら東京から一時間ちょっとだが、この週末は、なにかの学会があって町に学者があふれ、港でマグロ解体ショーなどが人気の祭があって県外からきた家族連れやカップルがあふれ、近隣の境港で「第一回妖怪検定」という謎のイベントがあって全国の妖怪フリークがコスプレで集まり、なおかつ近隣の出雲では大学駅伝をやっていた。というわけで飛行機が混み合っていて取れず、列車にてやってくる。
 鳥取は新幹線が通っていないので、岡山からJR伯備線に乗り換えなくてはならない。これは異常に横揺れすることで有名な列車で、わたしも昔、修学旅行のとき乗ったが、みんなトイレや廊下でつぎつぎリバースしていた。酔い止め薬が必須である(そのことは編集さんに言っておいた)。あと、むかし突風が吹いたときに鉄橋から谷底にまっさかさまに落ちたことがある(そのことは黙っておいた)。
ここでは、鳥取を訪れたのがどの出版社の編集者であるのかは明記されていないが、12月に出た『GOSICK〈6〉ゴシック・仮面舞踏会の夜 (富士見ミステリー文庫)』のあとがきに書かれている。

 途中で、別件で用があったのでK藤さんが、ほかの二名の編集さんと一緒に顔を出してくれました。*5
これだけでは何のことかわからないと思うが、コピー&ペーストですむネット上の文章とは違って、本からの引用は面倒なのでこれだけにしておく。要するに、『GOSICK』を書くために実家に帰った作者のもとに富士見書房の担当編集者が訪れた、ということだけわかれば問題はない。この後、学会とマグロ解体ショーと妖怪検定と大学駅伝に言及しているので、これが「桜庭一樹読書日記」に書かれているのと同じ出来事であるのはまず間違いない。ただし、『GOSICK』のあとがきのほうでは列車転落事件については触れられていない。富士見書房の編集者が、『GOSICK』とは別件で作家の実家を訪れた。これはこれで非常に気になる記述ではある*6が、それはのちの話。今はまだ11月だ。
先に引用した「桜庭一樹読書日記」のほうの記述のどこがふしぎなのかはここで述べたとおりだ。つまり、伯備線で列車転落事故が起きたという記録はない。当初、わたしは、自分が知らないだけで伯備線でも余部鉄橋で起こったのと似た事故があったのかと思ったのだが、同日のコメント欄でのやりとりを経て、結局、バカ日本地図仮説を受け入れることとした。
そして、余部鉄橋列車転落事故20周年記念日を迎えたわけである。

小説家は平気で嘘をつく人々であるということ

(以下、『赤朽葉家の伝説』の内容に触れます。未読の方はご注意下さい)
『赤朽葉の伝説』の203ページ、第二部「巨と虚の時代」も半ばを過ぎて、この物語の語り手である赤朽葉瞳子が生まれて少しのちの1992年春のくだり、ここに先に引用した「桜庭一樹読書日記」の、すこしふしぎな記述の謎の、その答えが書き記されていた。これも本からの引用であり、コピー&ペーストではすまないので、適当に端折って引用することとしよう。


 その春の日、曜司は接待のためにお座敷列車を夜まで借り切っていた。内部がお座敷になり、てんぷらや山菜料理を出して地酒とともに楽しむ列車で、JR紅緑線で中国山脈を越えて、桜を見ながら岡山まで旅をするのである。【略】
 昼過ぎのこと。群青色をした、中国山脈途上の深い渓谷にかかる、桜の花散るアマノベ鉄橋をお座敷列車が越えようとしたとき、ほんの一瞬、おどろくほど強い山おろしがふいた。お座敷列車は軽々と空に舞い上がり、そのまま空高く飛んでいくといわんばかりに警笛を鳴らして激しく揺れた。そうして風がやんだときには、鉄橋の遙か下の、深く暗い奈落に、桜舞い散る中をまっさかさまに落ちていったのである。
「JR紅緑線」という名の鉄道路線は存在しないが、これは明らかに伯備線をモデルにしている。つまり、「桜庭一樹読書日記」の、すこしふしぎな記述は、この『赤朽葉家の伝説』のなかのエピソードを指していたのである。わたしは、この場面を読んだとき、思わず「あっ」と声をあげそうになった。その声を押し殺したのは、その場が列車内*7だったからだ。声をあげそうになったのは、ひとつには「桜庭一樹読書日記」の、すこしふしぎな記述の真相に気づいたからだが、それだけではない。
言うまでもなく、小説家という人種は平気で嘘をつく人々である。嘘は小説の中だけとは限らない。エッセイであれ、コラムであれ、小説家が書く文章はなんでも眉に唾をつけて読まねばならない。文中の「わたし」が本当に筆者自身を指すのかどうか、という基本的なことから疑ってみてもいいくらいだ。そんなことはわたしも重々承知していたつもりであった。であったのだが、つい油断をしていた。すこしふしぎな記述を見つけたら、まずは「故意に嘘をついた」という可能性を疑うべきだったのに、それをしなかった。ことの真相を知ると同時に、わたしは自らの手ぬかりにも気がついた。それが「あっ」という(実際にはあげなかった)驚きの声の、もうひとつの理由なのである。
ここらか先は単なる憶測だが、それほど大きく外しているわけではないだろうと思われる。
赤朽葉家の伝説』で語られる列車転落事故は、もちろん現実に起こった余部鉄橋列車転落事故をモデルにしたものだろう。もっとも、架空の登場人物を死なせるには、現実そのままの状況ではなにかとさしさわりがあるため、作者は事故の季節を冬から春に、鳥取県西部地方から見た方角を東から南に変えた。そこで、事故の舞台は伯備線(紅緑線)となった。
伯備線は山陰地方と山陽地方を結ぶ、いわゆる陰陽連絡線のうちではもっとも重要な路線ではあるが、そうはいっても東京から鳥取県を訪れるのに伯備線に乗る客はあまり多くはない。なんといっても時間がかかる。その上、ひどく揺れる。その「あまり多くはない客」が揃って三人やってきたとき、平気で嘘をつく人々の一員である作者は、新作の予告を兼ねて遠方からの客をちょっとからかってみたくなったのだろう。振り子電車に揺られてやってきた編集者たちが東京に帰ってしばらく経って、「桜庭一樹読書日記」のくだんの記述を読んで、ほんのすこしぎょっとして、それからさらにしばらく経って『赤朽葉家の伝説』の203ページを開いてみたときに、はじめて作者のジョークに気づいて微苦笑する。そんな、ターゲットを絞りに絞ったピンポイントの仕掛けが、あの、すこしふしぎな記述には籠められていたに違いない。なんとまあ。
奇術師は他人の家に招かれたとき、家人の目を盗んで居間のソファの下や暖炉の裏に、こっそりマジックの種を仕込むという。一年か二年ののち再訪し、主が選んだカードを言い当てるために。再訪の機会は二度とないかもしれないし、その前に部屋が模様替えされてしまうかもしれない。だが、奇術師は無駄を覚悟で種を仕込み続ける。百のうちのひとつ、いや千のうちのひとつでも、種が芽をふき奇蹟の花を咲かせることを願って。そんな話をふと思い出した。

紅緑村のほうへ

赤朽葉家の伝説』の、その内容に入る立ち入る前に、かなり横道にそれてしまった。おまけに、文体模写にもなっていないのに、いつもとは違う文体を試みたせいで、妙に疲れてしまった。そこで、今晩はひとまずここで筆をおき、明晩あらためて『赤朽葉家の伝説』を読むことにしよう。表面をなぞるだけではもったいないが、深読みしようにも歯が立たないこの物語に、斜めに穴を掘って見当違いのほうへと探りを入れる作業に多少なりとも興味を持たれた方は、もうしばらくわたしの戯れ言におつきあい願いたい。

*1:この日記では本文中の地の文では一人称単数代名詞を用いないこととしている。従って、この文章は地の文ではないということになる。The Reader Is Warned.

*2:のちジェイアールウエストレストランを経て、現在はジェイアール西日本フードサービスネットになっているそうな。ややこしい。

*3:もし偶然でないとすれば、それもまた驚くべきことだ。

*4:索引はこちら

*5:GOSICK〈6〉ゴシック・仮面舞踏会の夜』246ページから。

*6:たぶん『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない (富士見ミステリー文庫)』の単行本化関係だと思う。

*7:ただし、山陰本線でもなく伯備線でもなく、総武本線八日市場付近だった。