富士ミスは死なず

見出しはダグラス・マッカーサーの名言「老兵は死なず*1の捩り。
さて、先日、富士見ミステリー文庫ついに勝つというヨタ記事を書いた。そこで、

ただ、問題は富士ミスに「この戦いに勝っていれば……」というターニングポイントが果たして4つあったかどうかだ。あまりこのレーベルのよい読者ではないので、詳しいことがわからない。識者のご教示を待ちたい。ついでにいえば、代わりに書いてくれるとなお有難い。

と書いたところ、奇特な人が4つのターニングポイントを挙げてくれたので、紹介しておこう*2

(1)2003年09月
ROOM NO.1301 おとなりさんはアーティスティック!?
著:新井輝/イラスト:さっち
(2)2004年08月
描きかけのラブレター
著:ヤマグチノボル/イラスト:松本規之
(3)2005年12月
ニライカナイをさがして
著:葉山透/イラスト:山都エンヂ
(4)2006年12月
ネコのおと リレーノベル・ラブバージョン
著:新井輝築地俊彦水城正太郎師走トオル田代裕彦吉田茄矢あざの耕平/イラスト:駒都え〜じ / ほか

【略】

とりあえずフォローしておくと、上で挙げた4つのターニングポイントとした作品は、(4)をのぞき、決して地雷作ではなく、それどころか稀に見る名作だったと断言して構わないでしょう。

しかし、富士見ファンタジア文庫で本にすればいいものを、ミステリ専門の文庫でやってしまったことが事態をややこしくしてしまい、結果的に富士ミス文庫の迷走化の引き金になってしまったのではないかと思う次第。

言及されている4作品のうち、『ニライカナイをさがして』と『ネコのおと リレーノベル・ラブバージョン』は未読なのでミステリかどうかは知らないが、『ROOM NO.1301 おとなりさんはアーティスティック!?』と『描きかけのラブレター』は絶対にミステリではない*3と断言できる。富士見ミステリー文庫をあくまでミステリー専門の文庫とみなすなら、これらの作品は富士ミスから刊行すべきではなかったのだろう。
もっとも、では富士見ファンタジア文庫から出せばよかったのか、といえば、ちょっと考え込んでしまう。というのは、ファンタジー専門の文庫としての富士見ファンタジア文庫のカラーにもそぐわないからだ。
考えてみれば、スニーカー文庫ファミ通文庫、MF文庫、スーパーダッシュ文庫GA文庫ガガガ文庫など、各ラノベレーベルはある程度のブランドイメージや得意分野はあっても、特定のジャンルに絞った専門レーベルにはなっていない。富士見書房だけが「ファンタジア」とか「ミステリー」とか、ジャンルを表す名称を用いている。これは、今はなき富士見時代小説文庫や富士見ロマン文庫以来の伝統だ。このようなレーベル名は内容の傾向がわかりやすいという利点もあるが、取り扱い範囲が限られるという欠点もあって、特に「オールジャンルなんでもあり」のライトノベルの世界ではそれが大きな足かせとなる。
上記4作品筆頭の『ROOM NO.1301 おとなりさんはアーティスティック!?』が出版された直後、2003年12月に富士見ミステリー文庫のリニューアル計画、いわゆる「スーパーブースト計画」が発動した。この計画のねらいが何だったのかを如実に表す史料が遺されている。

電撃文庫が大きく部数を伸ばし、さらに女性層を取り込んでいる状況から鑑み、
ミステリー文庫は電撃文庫の隣に置いて下さい。発売日も同じ10日です。
電撃文庫に負けない商品を揃えている自負がありますので、是非ともご協力ください。

総合レーベルである電撃文庫に挑戦するのなら、専門レーベルとしての「富士見ミステリー文庫」の看板を降ろして、たとえば単に「富士見文庫」にするという手もあっただろうが、そうすると伝統と実績のある富士見ファンタジア文庫の位置づけが微妙なものになり、下手をすればそのブランドイメージに傷をつけてしまいかねない。そのような事情を勘案したためか、それとも別の事情があったのかは門外漢にはわからないが、ともあれ富士見ミステリー文庫は名称変更せずにリニューアルを行った。今になってみれば、このリニューアルの中途半端さは誰の目にも明らかだが、その点で当時の富士見書房を批判するのは後出しジャンケンめいていてあまりフェアではない。
ラノベではないけれど、創元推理文庫富士見ミステリー文庫と似たような状況にある。SF部門は独立して創元SF文庫となったが、まだ怪奇小説創元推理文庫のままだ。ジャンル名を含まない「創元文庫」がかつて大阪の創元社から出ていたという事情があり、東京創元社は「創元推理文庫」を名乗ることになったのだが、長年の歴史を経てもはや「東京創元文庫」などと改称するのが難しくなっている。今はミステリ部門が充実しているためあまり問題にはなっていないが、将来、編集方針が変わって「LOVE寄せ」することになったとき、今のままの名称では中途半端なリニューアルに終わってしまうのではないかと今から心配している。
閑話休題
おそらく営業上の理由で富士ミスのリニューアルが避けられなかったこと、リニューアルに際して名称変更が困難であったこと。異論もあるだろうが、この2点を所与の前提とみなすこととするならば、2003年から2004年にかけて富士ミスが取り得た戦略はあまりにも限られてくる。果たして富士ミスには、実現はしなかったがそうであったかもしれない別の「いま」、はあったのだろうか?
歴史にイフは禁物だとよく言われるが、それでもイフを考えたくなるのが人間の性だ。確実なことは言えないが、史実を手がかりに想像の翼を広げるくらいはゆるされるのではないか。というかゆるして。
最後に、リニューアル当時の富士ミスが思い描いていた「未来」を示す史料を紹介する。吉田直が生きていれば、富士ミスにとっての「夏への扉」となっていただろうか?

追記

本文と全然関係ないけど。

 そもそもこの波照間島、島内に一軒も本屋さんがないんです。雑誌なんかも含めて書籍類を扱っている雑貨屋さんもない。小中学校にある学校文庫をのぞけば、波照間島で唯一、一般人が手にできる新刊書の小説がこの本であるということになるわけです。個人的には、島に住んでいてライトノベルの読者層にあたる人たち、すなわち波照間小学校や波照間中学校の生徒さんたちがこの本を読んでどんな感想を持つのだろう。そっちの方がいろんな意味で興味深かったのですが、それはまた別の話。

*1:この名言には続きがあるが、ちょっと申し訳ないので割愛した。

*2:引用にあたって、丸付き数字は丸括弧に置き換えたほか、タグの変更など、いくつか手を加えています。

*3:「ミステリの範囲を不当に狭めている」とか「独りよがりの偏狭なミステリ観を振りかざしている」とか「そんなこと言うならミステリを定義してみろ。定義も出来ないくせに勝手なことを言うな」などと非難する向きもあるかもしれないが、そのような人には「ミステリ無理解派」という称号を進呈することにしよう。