分類の限界

例えばゴッホを「印象派」、ピカソを「キュビスム」とするのだけが、「正しい評価」なのだろうか? そのような絵師分類の参照項としてのみ絵は語られるのだろうか? それつまんなくね?

これは、目が粗いというような問題ではない。もちろん、「●●派でも後期の画家であり、××と比べると▲▲の傾向があり、これは■■派の影響が見られる」みたいなもっと細かい分析も可能だろう。でも、どんなに細かくしたところで、それはいわば「20の質問ゲーム」で個人名を特定しようとしてるだけであり、分類に使われない要素をスパッと切り落としてしまう考え方なのではないか。

主張は理解できるのだけど、言及している例はやや紛らわしいと思った。
ゴッホは通常、後期印象派の画家とみなされている。この「後期印象派」というのは限りなく誤訳に近い言葉で、印象派のうちの一部ではない

この呼称は、かつて白樺派によって日本に紹介された際、「後期印象派」と訳され、今日に至るまでこれが一般に用いられている。(柳宗悦は「白樺」1912年1月号の「革命の画家」では「後印象派」と訳した。)しかしながら、Post-Impressionism のpostは、「〜の後」という意味のラテン語である。「後期印象派」という語は、印象派の時代のうちの後期に属するものを連想させるが、Post-Impressionism という語の意味は、「印象派の後」「印象派が終わった後」という意味なのである。実際、Post-Impressionists(ポスト印象主義者たち)は印象派を継承、または反駁(はんばく)しながら、印象派を超克しようとした画家たちであって、「後期印象派」という訳語から連想されるような、「印象派の後期」に属するものではない。近年ではこの訳語を避ける傾向も見られる。「ラファエル前派」という訳語に倣えば、「印象後派」とでも訳されるべきであるが、新案としては「ポスト印象派」がもっとも受け入れられているようである。「後印象派」などとも訳されている。

ゴッホ印象派の画家ではない*1のだから、そのように評価するのはもちろん「正しい評価」ではない。だが、それは高橋氏がここで言いたいこととはまるで違っている。
一方、ピカソキュビスムを代表する画家のひとりであることは確かだが、「ピカソキュビスム」などという一問一答式の理解は著しく不適切なものだ。というのは、ピカソはその生涯の間に何度も大きく作風を変えた画家だからだ。だから、ピカソの作品を十把一絡げに「キュビズム」の名のもとに分類するのは「正しい評価」ではない。だが、それも高橋氏がここで言いたいことからは外れるだろう。
高橋氏の批判は、仮にゴッホ印象派の画家だったとしても、ピカソが一生キュビズムに傾倒していたとしても、そのような仮想状況下で成立しうるものだが、たまたま紛らわしい例をもとに論じてしまったために、軽はずみな人は誤解をしてしまうのではないかと思う。
分類というのは、個々の対象から共通要素を抽象してまとめ上げる作業であり、当然のことながら、抽象されなかった要素は捨象されることになる。いくら分類を事細かく子細に行って、挙げ句の果てには一分類項目一対象にまで細分化したとしても、捨象される要素がゼロになるわけではない。従って、分類によって個々の対象についての十分な理解が得られることは原理的にあり得ない。そのことを強調するのなら、ゴッホとかピカソのように作家の例を出すよりも作品の例をもとに論じたほうがわかりやすかったのではないだろうか。
ところで、高橋氏の主張にケチをつけるわけではないのだが、ここでちょっと疑問を提起しておきたい。
今、述べたように、分類という作業によって対象を理解し、評価することには原理的な限界がある。現実には、そのような原理的な限界に到達する前に、時間の都合とか文字数の制限とかさまざまな制約で分類が行き詰まることのほうが多いが、仮に理想状況下でとことん分類作業を遂行して限界にぶち当たってしまったとするなら、そこから先に進んでより豊かな理解を得る別の方法があるのだろうか? 分類の限界とは人間の限界なのではないだろうか?
単に目で眺めて分類するだけでなく、重さをはかったり、X線写真をとったり、さまざまな科学的テクニックを用いて対象を分析することは可能だろう。だが、その場合でも、各々の分析手法に応じて抽象される要素があり、捨象される要素がある。取りうるすべての手段を尽くしたのち、全データを結合すれば、十分な理解を得たということになるのかどうか。これがどうにもわからない。
分析-再統合というプロセスを経ることなく、端的に対象全体をそのまま把握する能力が、もしかしたら人間にはあるのかもしれない。でも、仮にそのような能力があるとしても、得られた知見をそのままの形で表明することはできない。なぜなら、対象全体の端的な把握を言い表すような言葉はどこにもないからだ。
……だんだん議論が錯綜してきて、書いている本人もわからなくなってきた。今日はここまで。続きは、書けそうなら書きます。

*1:と書いたが、印象派 - Wikipediaでは「印象派画家の一覧」にゴッホがしっかり挙げられてしまっている。うーん、見なかったことにしよう。