新幹線とストロー現象

 地域へのマイナス効果も懸念される。新幹線駅のある都市部に人、物が吸い寄せられ沿線の過疎化が進む「ストロー現象」だ。並行して走る在来線はJRから経営分離することが新幹線整備の前提。その結果、シャッター通りと化す商店街が各地に続出している。

 例えば九州新幹線の部分開業(04年)で第三セクターが引き継いだ「肥薩おれんじ鉄道」。鹿児島県阿久根市阿久根駅前に30軒近くあった商店は7軒が廃業した。土産物店を営む若松光志さん(60)は「新幹線が通り過ぎるだけの地域は目に見えてさびれていく」とうなだれる。

今年9月に九州の鉄道乗りつぶしのため肥薩おれんじ鉄道に乗った際、時間に余裕があったので阿久根駅に立ち寄ったのだが、確かに駅前は寂れきっていた。でも、これって「ストロー現象」なんだろうか?

本駅は日本国有鉄道九州旅客鉄道時代には特急「つばめ」や寝台特急「なは」「はやぶさ」、夜行列車「かいもん」「ドリームつばめ」が停車する等比較的大きな駅であった。転換後でも肥薩おれんじ鉄道として主要駅の一つであり、土日祝日のみであるものの快速列車「オーシャンライナーさつま」がこの駅に停車するとは言え、転換前の発着列車の半数以上が特急列車であった事から列車本数は激減し、阿久根市内からの鉄道での交通の便が著しく低下し、更に駅前の商業にも大きな打撃を与えている。

ふつう「ストロー現象*1というのは交通の利便性が高まったせいで客が逃げてしまいまちが衰退することを指すが、阿久根駅の場合は交通が不便になったせで外から客が入らなくなってまちが衰退したのだから、全く逆ではないかと思うのだ。
と、ここまでは「ストロー現象」という言葉の使い方の問題。実を言えば、あまり重大なことではない。
上の記事でより大きな問題だと思われるのは、「便利になるということはいいことだ」という素朴な価値観がおそらくは無反省のままに前提されていて、新幹線建設の問題点を扱っているにもかかわらず、「新幹線幻想」をより強化する論調になってしまっているということだ。この記事を読んだ北海道の人々は「阿久根は新幹線にそっぽを向かれたせいで沈み込んでいった。じゃあ、うちのまちもそうならないように是が非でも新幹線駅を誘致しなければ」と思うことだろう。それではちょっとまずいんじゃないか、と思った次第。

参考
「新幹線で街は栄えない」 全駅を乗り降りした自称オタクの銀行マンが講演