地域活性化には無料駐車場を!

「月刊建設」という雑誌がある。社団法人全日本建設技術協会機関誌だそうだ。その2008年12月号の特集は「住民との協働による地域づくり」だが、その中で「長崎発「通り名」による地域活性化の取り組み」という文章が面白かった。筆者は国土交通省九州地方整備局長崎河川国道事務所専門員の沼野猛という人で、検索して調べてみると、長崎市平戸市での「通り名」ワークショップ開催についての記者発表資料*1が見つかった。それらの資料には

「通り名」とは、古くからいわれのある通りの名前を呼び起こし、通りに名前を付け、分かりやすい道案内を行うという取り組みで、平成18年度に全国で初めて長崎市寺町界隈で実施した取り組みです。

と記載されている。時期と場所から察するに長崎さるく博と関係があるだろうと思い調べてみると、国土交通省道路局通り名で道案内というサイトで長崎市で行われた社会実験の状況が紹介されていた。
さて、「月刊建設」の「長崎発「通り名」による地域活性化の取り組み」に話を戻す。この文章の主題はもちろん「通り名」プロジェクトなのだが、むしろ傍論にあたる箇所のほうが面白かった。少し紹介しよう。
沼野氏は中心市街地の衰退の理由を次のように分析する。

 戦前の日本は、道路整備が遅れており、人々は鉄道を中心に移動し、駅前を中心に商店街ができ、都市が形成されていった。こうした人の動きや都市の発展パターンは、高度経済成長期まで続いた。
 しかし、現在ではモータリゼーションの進展により、マイカーによる時間を気にせず好きな時に、好きな所へ行く行動が主流となり、この結果、人々は中心市街地でお金を出して駐車し商店街で買い物する行動をやめ、郊外の大型ショッピングセンターに行き大規模な無料駐車場に車を止め、1日時間を費やすといった時間消費型の行動形態となった。

また、観光地の衰退の理由についての沼野氏の見解は次のとおり。

 現在では、マイカーによる個人旅行がその主流を占めるようになり、非日常を求めたり、あるいは歴史や文化を探求したりする本物志向の旅へと様変わりしている。無料駐車場に車を止め、無料駐車場からまちを歩き、道案内や観光情報案内を頼りに観光を行う。そこでは、自分なりのストーリーをつくり、歴史を想像し史跡をめぐるのである。夜は地域の人がよく通う郷土料理や大衆料理を食べながら一杯。これが個人旅行の顧客ニーズなのである。多くの観光地では、こうしたニーズを捉えることができず、無料駐車場がなく、道案内の仕組みもない。夕食を地域の郷土料理店に客を案内するホテルもなく、結果として観光客の減少に苦しんでいるのである。

今、抜粋して引用した2箇所をみれば「無料駐車場」がキーワードになっていることがわかるだろう。この文章の締めくくりの箇所では、さらに「無料駐車場」が強調されている。

 地域が衰退する理由は非常に単純で、アクセスの仕組み(無料駐車場と無料駐車場から歩いていける範囲の案内)が構築されていないことである。
 もちろん、これ以外にも地域特有の課題や問題はあるが、私が見てきた地域のほとんどは、地域資源はあるが、無料駐車場と案内がないため、その資源を活かせていない。その結果、交流が失われ地域が衰退し、人口減少と高齢化が進み、地域の人があきらめてしまっているのが現状である。そして、地域の人の元気がなくなることで、さらに地域改善の活動が止まり地域が衰退する悪循環になるのである。

この指摘は非常に新鮮だった。
まちづくりとか中心市街地活性化とか地域振興とか、その手の論者の中にはマイカーフォビアではないかと思われるほど自家用車を忌み嫌う人がいて*2、やれ「LRTでクルマに頼らないまち」とか「歩いて暮らせるコンパクトな都市」とか、地に足が着いているとは思えないスローガンが多く見受けられる。そういった人々の書く文章に「無料駐車場」という言葉があらわれることは少なく、せいぜいパークアンドライドの絡みで出てくる程度だ。
そういうわけで、沼野氏の文章は興味深く、面白かったのだが、読み終えてから少し考えてみると、疑問点がなくもない。
まず、中心市街地と観光地とでは事情は少し違うのではないか、と思った。なるほど、モータリゼーションの流れの中で無料駐車場のない中心市街地は衰退し、消費者は無料駐車場のある郊外へと流れていった。だが、無料駐車場のない観光地と無料駐車場のある観光地との間で、都市vs.郊外と同じ図式による勝敗があったのかどうか。具体的な実例がちょっとイメージできない。
また、無料駐車場がないことが市街地や観光地の衰退の理由だとしても、今から無料駐車場を整備することで再生するのかどうかというのも疑問だ。また、駐車場の建設や維持管理にかかるコストを利用者に転嫁しないとなれば、いったいその経費はどこから工面すればいいのかということも気になる。
ほかにも、マイカーを使わない外国人観光客や交通弱者のこととか、地球温暖化や資源の枯渇のこととか、いろいろ考えなければならなことも多いのだが、その手の話はわりと語られ尽くしている感があるので省略。
最後に、再度「長崎発「通り名」による地域活性化の取り組み」から引用しよう。

 人は目的のためには対価を払うが、手段のためには最低限のコストしか払わない特性があると思われる。このため、買い物客はブランドバッグを買うために5万円を払っても、500円の駐車料金は払いたくないのである。まして、買い物ではなく暇つぶしのためであるなら、なおさら駐車料金など払いたくないものである。

「人は目的のためには対価を払うが、手段のためには最低限のコストしか払わない」というのは名言だと思う。

*1:どちらもPDFファイル。

*2:もちろん、そういう人ばかりではない。