釧路市には映画館がない

釧路内には映画館がなく,隣の釧路まで出かけなくてはいけません(紛らわしいが,釧路市釧路市は別の自治体)。家からバスで行くと片道50分,料金は520円かかります。それが今日はバス料金が上限200円になるというので,お出かけしてきました。先に「今日は映画を観る」というのが決まっていて,上映作品は事後的に『コクリコ坂から』ということに。

文中の「釧路市釧路市は別の自治体」というのはたぶん「釧路市釧路町は別の自治体」の誤記だろうと思う。パラパラ地図北海道で調べてみると、もともと同じ釧路町だったのが1920年に釧路区と釧路村に分立して、その後それぞれ合併を経て今の釧路市釧路町になっているらしい。
調べてみると、釧路町にある映画館というのはイオン釧路店横のワーナー・マイカル・シネマズ釧路のことらしい。所在地は北海道釧路郡釧路町桂木1-2-2。総務省統計局平成17年国勢調査 人口集中地区境界図【PDF】でみると、釧路駅を中心とした人口集中地区が市町界を超えて釧路町の一部を含んでいる。はっきりとはわからないが、イオン釧路店のある辺りは人口集中地区のようだ。LUCKY(土地利用調整総合支援ネットワークシステム)で調べてみると、この辺りは市街化区域らしい。
どうもイメージが沸かない。さらに調べてみよう。

  • 旧セチリ太地区〜釧路市ベッドタウン、商業集積のまち。
    • 釧路市が長年郊外型大規模小売店舗の出店を規制していたことから、旧セチリ太地区に集積した結果、東北海道最大の商業地域を形成している。
    • 中でも1987年に出店したホクホー→1992年に北海道ニチイ釧路店→1994年にマイカル北海道釧路サティ→2002年よりポスフール釧路店→2011年3月1日よりイオン釧路店は、郊外型大手大型スーパー出店に拍車をかけさせた上、釧路市の中心街をシャッター街に追い込んだとして知られている。
    • 旧セチリ太地区は釧路市と隣接しているため、釧路市ベッドタウンとしても発達していることから、人口は後述する地域に比べて比較的増加している。

十字街・駅前などの北大通、駅西部には、長らく地場系スーパーの他、官公署、大手企業の支店・営業所が集積していた。しかし、1981年(昭和56年)のイトーヨーカドー(新橋地区)に始まった郊外型大手大型スーパーの出店、及び200海里問題や水揚げ港の西港への移動、徒歩圏に立地していた市立病院の郊外移転、そして何よりも、車社会の台頭により、商圏に変化が生じたことから、徐々に活気は失われていった。

この影響から、1970年代末期から1980年代初頭にかけて、オリエンタルデパートやショッピングヤスモトは百貨店業から離脱、丸ト北村は経営危機に陥るなど、衰退・沈下がはっきりし始める。郊外各地にあったくしろ市民生協は順次大型店に統合、同じく郊外型の十條サービスセンター(鳥取地区)も大増床・大改装に踏み切り、勢いを増そうとした。

1980年代後半からは大店法大幅緩和を受けて、1987年(昭和62年)には釧路町桂木にホクホー(後に→サティ→ポスフールと改名。その度に増床)が、1989年(平成元年)には貝塚地区の東釧路駅前に、当時国内最大手スーパーだったダイエーが出店する。さらに、大店法大店立地法に改正された2000年(平成12年)には、釧路市昭和地区にジャスコが出店したことで、シェア争いが郊外型大手大型スーパーVS地場系スーパー・商店から郊外型大手大型スーパー同士の戦いに変わってしまう。この結果、十字街・駅前(金市舘(後のラルズプラザ)釧路店、釧路パルコ、釧路ステーションデパート、長崎屋)だけでなく、郊外型大手大型スーパー第1号だったイトーヨーカドーまで売り上げが大幅に落ちることになった。

しかし、1989年(平成元年)には釧路フィッシャーマンズワーフMOOが開店して、1990年(平成2年)にはくしろデパートが「ファッションスクエアKOM」に、釧路パルコが「ISM」に衣替えするなど、中心街復権に力を入れた。にもかかわらず、1990年代前半に発生したバブル経済崩壊不況の影響により、これまでの努力を無にするのように、大手企業の支店・営業所の撤退が目立つようになり、空きビル化した建物に長期間テナントが入らない事態に陥る。さらに1994年(平成6年)1月、追い打ちをかけるように釧路駅前のランドマークだったラルズプラザ釧路店が閉店、1990年代中期の北海道拓殖銀行経営危機(後に破綻)を受け、同行をメインバンクとしてきた丸三鶴屋も経営に行き詰まり、丸井今井に経営譲渡する形で1996年(平成8年)に廃業。一つの時代の大きな区切りとなった。

丸井今井釧路店が開店したにもかかわらず、長期不況による大手企業の支店・営業所の撤退がさらに加速し、2000年(平成12年)に丸ト北村が廃業、2001年(平成13年)にはオクノ釧路店が閉店。さらに2004年(平成16年)には釧路ステーションデパートが廃業、2005年(平成17年)にはISMが倒産、2006年(平成18年)8月には丸三鶴屋を引き継いだ丸井今井釧路店までもが閉店し、くしろデパートが廃業。中心街衰退は拍車がかかってしまった。現在はアベニュー946(長崎屋旧釧路店建物)、釧路フィッシャーマンズワーフMOOが残っているが、くしろ氷まつりや厳島神社例大祭、くしろ霧フェスティバル、くしろ港まつり、くしろ市民北海盆踊り、くしろ大漁どんぱくと言ったイベント開催時(他、釧路市観光国際交流センターでの話題力・集客力のある催し開催時や珍しい野生小動物の来釧時)以外は人通りが著しく減るなど、厳しい状態が続いている。

さらに、都心部の1つである末広地区には規模の大きな飲食店街があるが、先述・郊外型大手大型スーパー出店が主要原因となる都心部衰退の影響に加え、飲酒運転(運転者への酒類の提供)の全国的な社会問題化による2007年以降の改正道路交通法による飲酒検問強化以降は人通りが著しく減り、閉店・廃業が相次ぐなど厳しい状態が続いている。

だんだん状況が見えてきた……それとともにだんだん引用するのが面倒になってきたので釧路市 - Chakuwikiはリンクのみ。
こういうところには必ず中心市街地活性化基本計画があるはずだ。そう思ったのだが、あれっ、ないよ? 旧法時代の釧路市中心市街地活性化基本計画(平成12年3月策定)は見つかったけど、2006年のまちづくり三法見直しにはまだ対応できていないようだ。
いろいろと思うところはあるのだけれど、とりあえず今日はここまで。なお、『コクリコ坂から』を映画館でみる気はありません。