『黒百合』におけるパッヘルベルのカノンの扱いについて

黒百合

黒百合

香が蓄音機にかけたレコードは私には初めての音楽だった。その後の数十年間に、私はその曲をさまざまな場所で、さまざまな演奏によって、いやというほど耳にしたが、初めて聴いたのは、このときの香の部屋でだった。
博識の一彦は、クラシックの入口のようなその曲を知らないわけがなく、
パッヘルベルのカノンやな。演奏はどこや」と言ってレコード・ジャケットを手に取り、
シュトゥットガルト室内管弦楽団。うん、バロックはやっぱりこの楽団やな」と、もっともらしくうなずいている。

これは多島斗志之の『黒百合』の一節、具体的にいえば「III 六甲山 1952年夏 (2)」*1、97ページ4行目から10行目の記述だ。香、一彦、「私」はみな14歳の中学生で、一人の少女を巡る二人の少年の鞘当てが、見事に描き出されている。
だが、ちょっと待て。これ、時代考証がおかしくないか?

Karl Münchinger (May 29, 1915 – March 13, 1990) was a German conductor of European classical music. He helped to revive the now-ubiquitous Canon in D by Johann Pachelbel, through recording it with his Stuttgart Chamber Orchestra in 1960. (Jean-François Paillard made a rival, and also very popular, recording of the same piece at around the same time.) Münchinger is also noted for restoring baroque traditions to the interpretation of Bach's oeuvre, his greatest musical love: moderate-sized forces, judicious ornamentation, and rhythmic sprightliness, though not period instruments.

ええと、英語翻訳 - エキサイト 翻訳でみると、こんな感じ。

カールMとuuml; nchinger(#1915年5月29日と8211; 1990年3月13日)はヨーロッパのクラシック音楽のドイツ人の導体でした。 彼は、Dでヨハン・パッヘルベルで現在どこにでもあるキヤノンを蘇らせるのを助けました、1960年に彼のシュツットガルトChamber Orchestraと共にそれを記録することで。 (ジーン-フランとccedil; oisパイヤールは、ほぼ同じくらいの時に同じ片のライバルの、そして、非常に人気があるも録音をしました。) Mとuuml; また、バッハの全作品、彼の最もすばらしい音楽の愛の解釈にバロック様式の伝統を回復するので、nchingerは有名です: もっとも、中道主義者サイズの力、賢明な装飾、およびリズミカルな活発さ、オリジナル楽器でない。

日本語として破綻した文章だが、想像力溢れる人ならここにミュンヒンガー率いるシュトゥットガルト室内管弦楽団が1960年にパッヘルベルのカノンを録音したと書かれていることが読み取れるだろう。
ウィキペディアの記述には誤りも多いし、1960年以前にもシュトゥットガルト室内管弦楽団パッヘルベルのカノンを録音していたという可能性もあるので、この記述のみを根拠に『黒百合』が歴史的事実に反したことを書いていると断定することはできない。慎重に検証するならシュトゥットガルト室内管弦楽団ディスコグラフィーを調べるべきだ。
でも、面倒だからそんなことはやらない。
その代わりに、もうひとつ、ウィキペディアから引用する。

The piece, whose score was discovered and first published in the 1920s, and first recorded in 1940 by Arthur Fiedler, is particularly well known for its chord progression, and is played at weddings and included on classical music compilation CDs, along with other famous Baroque pieces such as Air on the G String by J. S. Bach (BWV 1068). It became very popular in the late 1970s through a famous recording by the Jean-François Paillard chamber orchestra. A non-original viola pizzicato part is also commonly added (in a string orchestra or quartet setting) when a harpsichord or organ player is not used to improvise harmonies over the bass line. American film director Robert Redford used the piece as the main theme for his 1980 Academy Award-winning film Ordinary People.

これも自動翻訳で無理矢理日本語に直してみる。

断片(スコアは、発見されて、1920年代に最初に発行されて、1940年に最初に、アーサー・フィードラーによって記録された)は、クラシック音楽編集CDの上にコード進行において特によく知られていて、結婚式が上演されられて、含まれています、J.S.バッハ(BWV1068)によるG線の上のAirなどの他の有名なBaroque断片と共に。 それは1970年代後半にジーン-フランとccedilによる有名な録音で非常に人気があるようになりました; oisパイヤール室内楽団。 また、ハープシコードか器官プレーヤーがバス線でハーモニを即興するのに使用されないとき、スミレの非元のピッチカート部分は一般的に加えられます(弦楽合奏団かカルテット設定で)。 アメリカ人の映画監督ロバート・レッドフォードは彼のアカデミー賞に勝利する1980フィルムOrdinary Peopleに主なテーマとして断片を使用しました。

これも想像力豊かな人ならパッヘルベルのカノンが有名になったのは1970年代後半のことだと書かれているのが読み取れることだろう。
あれ? パイヤール室内管弦楽団がカノンを録音したのは、シュトゥットガルト室内楽団と同時期ではなかったのか? ふたつの記事の書きぶりの違いが気になる人もいるかもしれないが、細かいことは気にしてはいけない。1952年当時、パッヘルベルのカノンは「クラシックの入口」ではなかったということさえ確認できれば、それでいいのだ。
今ではちょっと想像もつかないことかもしれないが、半世紀前の日本ではバロック音楽などというものは一部のマニアしか聴かないマイナー*2な音楽だった。もちろん、バッハやヘンデルは当時もよく知られ聴かれてはいたが、当時、彼らは「前期古典派」の作曲家と見なされていた。それ以外の作曲家、たとえばヴイヴァルディの知名度はゼロに等しい有様だった*3。1952年当時「バロックはやっぱりこの楽団やな」などと語る14歳の少年がいたら、好きな女の子の前でいいところを見せたいと背伸びする知ったかぶりのマセガキなどではなく、桧川直巳*4級の化け物だったに違いない。
もっとも、こんな読みも可能だ。「私」は数十年後に少年時代を回想しているのだから、記憶にやや不正確なところがあるのだと。1952年夏に聴いたのはもしかしたらパッヘルベルのカノンではなかったのかもしれないし、別の楽団の演奏だったのかもしれない。そして、一彦の台詞は後年別の機会に発せられたものを、1952年当時の発言だと勘違いしていたのかもしれない。
だが、『黒百合』をそのように読むということは、この小説の大部分を占める「1952年夏 六甲山」のパートを、信頼できない語り手によるテキストとみなすということでもあり、部分的な記述を擁護することによって、より大きなものを失ってしまうことになるのではないかという危惧がある。ここは作者の考証ミスだと考えたい。パッヘルベルのカノンをアイネ・クライネ・ナハトムジークとか月光ソナタとかに置き換えて、当時の有名な楽団や演奏者を適当にあてておけば済む話であり、この小説の本質に関わることではないのだから、妙に穿った読みは控えたいと思う。
ああ、今日こそは『黒百合』のトリックについて語るつもりだったのに、また一日、休日が去ってゆく……。

*1:「III」は原文ではローマ数字、「(2)」は原文では丸付き数字。

*2:短調という意味ではありません。為念。

*3:と、見てきたようなことを書いているが、これはあちこちの本で読んだ知識の受け売り。やや強調しすぎているかもしれません。

*4:さよならピアノソナタ』の主人公。