『黒百合』のトリックが成立しないかどうか、実際に読んで確かめてみた

黒百合

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『黒百合』のトリックが成立しないかどうか、実際に読んで確かめてみたいものだ - 一本足の蛸の続き。
結論からいえば、『黒百合』のトリックは成立しない。
なぜか?
その理由を説明するには時間がかかる。だが、今日は残業、明日も残業、明後日は休日出勤の予定で、まとまった時間がとれない。早くとも日曜日以降になる見込みだ。
今日のところは、こみ入った話はやめにして、感想を簡単に書いておこうと思う。
多島斗志之の小説を読むのはこれが初めてで、どういう作風の人なのかほとんど予備知識なしに本を繙いたのだが、文章の美しさに感心した。いわゆる美文調ではなく、むしろ機能的な「達意の文章」に近いのだが、均整がとれているのに、どことなく艶がある。これはいい。
優れた文章を読むのはそれだけで楽しいものだが、それに劣らずストーリーもまた面白かった。小説の大半を占める「六甲山」パートは、終盤を除けばさほど起伏があるわけではなく、ゆっくりと流れる子供の時間を淡々と描いているのだが、そこには数多くのドラマが隠されている。あるものは明らかにされ、別のあるものは秘められたままとなっている。そして、それらのエピソードのすべてが、もはや二度と触れることの叶わぬ過ぎ去った時の彼方へと消えてゆく。遺されたものはただ思い出だけ。
最後の1ページで語られる後日談は抑制がきいているが印象深い。はるか昔に読んだシュトルムの『みずうみ』、ヘッセの『青春は美わし』、そしてゴールズワージの『林檎の樹』を思い出した。
いい小説を読んだ。