登山と喫煙の違い

タバコがなぜこうも問題視されるのか。いうまでもなく、健康を害するリスクを高めるからである。

しかし、それなら、ひたすらにリスクを減らすことだけが正しく、リスクを増やす行動を取ることは愚かなのか。ぼくは、そうともいいきれないと思う。

その理屈でいうなら、登山などは愚行としかいいようがはず。山に登らなければ存在しない遭難死のリスクをわざわざ背負うわけだから。

しかし、一流の登山家は一般に賞賛すべきひとと見なされている。この落差は何なのか? 登山のリスクを採るひとと、タバコのリスクを採るひと、両者のあいだに何の違いがあるというのか?

ぼくには、何の違いもないように思える。両者とも、リスクを支払ってでも得るものがある、という判断を下しているに過ぎない。

受動喫煙の問題を考慮に入れていないのが気になるところだが、それはさておき、登山と喫煙の間には見過ごすことのできない大きな違いがあるように思う。
それは、登山のリスクは主に突発事象にかかるものだが、喫煙のリスクはそうではないということだ。登山中のわずかな油断や判断ミスで人は瞬時に死に至ることがあるが、喫煙の場合は油断や判断ミスの有無に拘わらず、じわじわと身体が蝕まれてゆく。
なお、私見では、一流の登山家が賞賛されるのは、ふつうの人が乗り越えることのできない危難に果敢に挑んで偉業を達成するからであり、リスクを高める行動を取ること自体が賞賛に値するわけではない。一流の登山家と一般の喫煙者を同列に扱うのは明らかに不当だろう。一流の登山家と比較するなら一流の喫煙者に限るべきだが、さて「一流の喫煙者」とはどのような喫煙者のことだろうか? 喫煙に危難はあるか? 喫煙を極めて達成される偉業とは?