AよりBが重要だ、故にAよりCが重要だ

筋道が通っているようでもあり、通っていないようでもある文章を読むともどかしくいらいらする。今日そんな文章をひとつ読んでしまった。

われわれは食糧自給率を心配しなければならないのだろうか? 現実的に検討してみよう。

日本の農産物輸入元は大半が米国、豪州、タイ、カナダといった、いわゆる民主主義と市場経済を基本とする国だ。加えて、食糧は国家が国家から買っているのではなくて事業会社同士の売買である。たとえ、何か天変地異や紛争があってある国の会社から買えなくなったとしても、別の国の会社にとっては大きなビジネスチャンスとなり、売り手確保には困らないと思う。

例えば、深刻な紛争などにより国家単位で食糧のやりとりが止まるときもあるかもしれない。そんな事態となれば、まずは自給率が4%しかないエネルギーのやりとりが止まるだろう。コメも炊けなければ肉も焼けない。

食糧自給率にこだわって、外国産に比して競争力のない作物を作り続けることは、農家にとっても、それ以外の国民にとっても大きな負担である。それよりも、日本にしかできない農産物の作り方、売り方に特化して、稼げる農業をたくさん作り出し、生産力を上げていくべきだ。輸出競争力がつけば、それが安全保障の人質になる。

この引用文のうち最初の段落は単なる問題設定なのでいいとして、第2の段落には引っかかるところがある。民主主義と市場経済を基本としている国なら、有事の際にも会社が日本向けに輸出することに規制を加えないだろう、と見込んでいるのだろうか? また、天変地異や紛争が起こった場合、それが一国の国内問題で済むという考え方なのだろうか? たとえば火山の噴火による天候不順は場合によっては世界中の国々に影響を与えることがあるのだが、そういう想定は非現実的なことなのだろうか? 仮に農産物の輸出ストップが一国だけのことにしても、他国の農産物が従来どおり安定した価格で国際食糧市場に供給されるという見込みはあるのだろうか?
と、このように疑問点が次から次へと沸いて出るのだが、その次の段落を読むと、疑問が困惑に変わる。日本のエネルギー自給率が4%しかないということが、食糧自給率を心配しなければならないかどうかという問題にどう関わっているのだろうか? エネルギーの供給が止まったらコメも肉も調理できないのは確かだが、仮にエネルギーの自給率が100%になっても、コメや肉がなくなったらやはりそれらを食べることができないのだから、エネルギー自給率の問題のほうが大きいから食糧自給率のほうは心配する必要はない、という話にはならないだろう。
食糧とエネルギーの関係といえば、調理という場面を想定する以前に、農業生産の場で用いるエネルギーのことが思い浮かぶ。エネルギー供給が止まれば、農業機械も止まるし、温室栽培もできなくなる。安全保障について考えるための指標として食糧自給率を用いるなら、食糧生産のために必要なエネルギーの自給率も計算に入れなければ十分ではない。そういうわけで、現在のカロリーベース食糧自給率の計算方法には難がある*1ように思われる。
だが、そういう話に進むわけでもなく、次の段落ではいきなり「稼げる農業」に話が飛ぶ。そりゃ、稼げない農業より稼げる農業のほうがいいに決まっているが、エネルギー供給が止まれば「稼げる農業」もできなくなるのだから、エネルギー自給率の問題を無視して話を進めるのはいかがなものか。
この文章の2ページ以降は会員登録をしないと読むことができない。続きを読めば疑問が氷解するかも……という期待が全くないこともないと言えば嘘になる。次ページ以降で食糧自給率とエネルギー自給率の関係、そしてエネルギー自給率と「稼げる農業」の関係についてきっちりと見通しをつけているのならすみません。
……と、ここまで書いて、この文章が今年1月に公表されたものだということに気づいた。あ、震災前か。

*1:ついでに言えば、飼料の自給率は考慮するのに肥料の自給率は考慮しないのもバランスを欠いている。