螺旋追走曲 ――CANON PER TONOS――

再録にあたって

この小説は去る2005年5月4日に自室の大掃除をした際に発見したものである。400字詰原稿用紙に鉛筆で下手な字で書かれていて、判読には困難を極めた。執筆時期は明記されていないが、おそらく1980年代半ばのものと思われ、原稿用紙は変色していた。しかも、掃除が終わった頃には再び大量の書籍や雑誌の山に埋もれてしまい、今に至るまで行方不明である。
ここに再録するのは、従って原稿用紙手書きヴァージョンではなく、その後1991年に同人誌に寄稿したヴァージョンである。この同人誌も大掃除で発掘したものだ。
なお、この小説には明らかな誤字・脱字*1や著しく拙い表現*2が散見されるが、時代背景を考え、また作者が故人同然であることから、あえて原文のままとした。

丘の上の古い館で彼女は生まれた。彼女は十八人姉妹の末っ子で、生まれた時から両親はいなかった。彼女は十七人の姉と共に暮らしてきた。

1

三月二十一日は彼女の誕生日だった。彼女は一歳になった。その日、彼女の妹が生まれた。
そして、おなじ日に一番上の姉が家を出た。

2

彼女の姉妹は非常によく似ていた。顔立ち、しぐさ、声、なにからなにまでそっくりだった。それは彼女自身も、そして彼女の二歳の誕生日に生まれた二人目の妹も同じだった。

3

彼女は三歳の時、初めて姉妹以外の人間を見た。十五歳くらいのよく日焼けした少年だった。
少年は夏の間、毎日のように姉たちに会いにやって来た。そして秋になると姉妹だけの生活に戻った。

4

彼女は姉たちの会話や絵本などから、世の中の人々はひとりひとりが、別々の顔や性格をもっていることを知った。四歳になり、好奇心に目覚めた彼女は一つ違いの姉に尋ねた。
「ねえ、どうして私達だけが、そっくりな顔なの?」
「私達は特別なのよ」
「どうして特別なの?」
「さあ・・・」
「どうして? どうして?」
彼女の質問に姉は答えられなかった。

5

彼女が五歳の時、一つ違いの妹が彼女に尋ねた。
「ねえ、どうして私達だけが、そっくりな顔なの?」
「私達は特別なのよ」
「どうして特別なの?」
「さあ・・・」
「どうして? どうして?」
妹の質問に彼女は答えられなかった。

6

彼女の六歳の誕生日に、六人目の妹が生まれ、一人の姉が去っていった。妹がどこから生まれ、姉がどこへ去っていくのか、誰も知らなかった。

7

彼女が八歳になる前日、十歳年上の姉に尋ねた。
「明日、家を出ていくの?」
十七歳の姉はうなずいた。
「どうしても? なぜ?」
「よくわからないけれど・・・なんとなく外の世界へ出ていきたいと思うの。私のお姉さん達はみんな十八歳になるとこの家を出ていったのだから、次は私の番だわ」
姉は、遠くを見るような目付きで答えた。

8

次の日、十八歳になった姉は家を出ていった。

9

夏になると、少年は麦わら帽子をかぶって元気よく丘を駈け登ってきた。不思議なことに、少年は全く成長していないようだった。彼女が初めてその少年を見たときから、ずっと十五歳くらいのままだった。

10

彼女は十歳になった。二つ違いの姉は、なぜかいつも浮かないようすだった。しかし、彼女にとっては、穏やかで何事もない日々が続いた。

11

彼女が十一歳の夏にも、いつものように少年はやってきた。彼女はなぜか少年が気になって丘の下へと続く道を毎日じっと見つめた。
だが、結局少年には話かけずじまいで秋になり、少年は来なくなった。

12

冬の間、もやもやとした気分で過ごした彼女は十二歳の誕生日を迎えたころ、やっと自分のその感情が恋だと知った。原因を知っても彼女の心は晴れず、いつも浮かない表情であることが自分でもわかった。
その夏も、彼女は少年に話しかけることができなかった。

13

十三歳の夏、彼女はついに告白をした。
「私、ずっと前からあなたが好きだったの」
少年はとまどったようだった。
「私のこと、嫌い?」
少年はとぎれとぎれに答えた。
「そうだね・・・嫌いじゃないよ。確かに君は素敵だ。かわいいし・・・。それに、あと四、五年もすれば、きっと美人になると思うよ。でも・・・」

14

彼女は暗く沈みこみがちになった。また夏がやって来て、少年が姿を見せるようになると、彼女はますます憂鬱になった。

15

その次の夏にも、同じように少年はやって来た。彼女がさりげなく少年のほうを見ると、少年の視線の先にはいつも一番上の姉がいた。
――あと四、五年もすれば、きっと美人になると思うよ――
少年の言葉の意味がやっとわかった。

16

彼女は十六歳になった。少年の存在はもう気にならなくなった。彼女はただ十八歳になる時のことだけを考えた。

17

十八歳になる前日、十歳下の妹が彼女に尋ねた。
「明日、家を出ていくの?」
彼女はうなずいた。
「どうしても? なぜ?」
「よくわからないけれど・・・」
彼女は十年前の会話を思い出しながら答えた。

18

思い扉を開けると、まぶしい日の光が彼女の全身に注がれた。一歩外へ踏み出すと、春のそよ風に髪がなびいた。
彼女は丘を降りていった。

あとがき

発掘された同人誌の「あとがき」によれば、この小説は作者が中学生のときにブラッドベリの『十月はたそがれの国』のうちの一篇を読んで着想したもので、高校二年のときに書き上げたものだそうだ。冒頭で言及した原稿用紙ヴァージョンはその時のものだと思われる。さらに改稿を十回以上重ねたというが、中間稿は発見されていないので真偽は不明である。
初期のタイトルは『同心円』で、主人公には「アリス」という名前があったと作者は述べているが、原稿用紙ヴァージョンでは既に『螺旋追走曲 ――CANON PER TONOS――』になっている。作者のコメントが嘘でなければ、それ以前に失われた初稿が存在していた可能性もある。ともあれ、少なくとも15年以上前に初稿が書かれていたことは間違いない。
この小説は以下の事柄を我々に教えてくれる。

  1. 人間の才能の限界は十代半ばで見えてくる。
  2. 不毛な思考パターンは、いったん陥ると抜け出せない。
  3. 背伸びが許されるのは子供だけだ。

*1:「話かけずじまい」「思い扉」など

*2:「・・・」など