名前と漢字

人名用漢字の戦後史 (岩波新書 新赤版 (957))

人名用漢字の戦後史 (岩波新書 新赤版 (957))

その昔、あるミステリ同人誌に次のような論旨の記事が載ったことがある。
法月綸太郎の小説に登場する『法月綸太郎』の名前はおかしい。作中の法月綸太郎も作家だが、父親の法月警視が『綸太郎』と呼んでいて、自分の息子をペンネームで呼ぶ親はいないから、これは本名のはずだが、『綸』の字は常用漢字にも人名用漢字にも入っていないから、この名前はありえない」
その後、「綸」は人名用漢字に含まれることになったので、この問題は表面上は解消した。*1
登場人物の名前に現実にはつかえない漢字を用いてしまうというのはよくあることで、あえてめくじらを立てる必要もないと思う人が多いだろうが、ことミステリに関していえば、「ありえないはずの現象」が伏線になることがあるので、このようなミスが場合によっては作品全体の価値に直結するおそれがある。*2
というわけで、日本のミステリ関係者にとっては必須知識なのだが、作家や編集者、校閲者はともかく、たまにミステリも読むという程度の読者が簡単に人名用漢字について知るための本がこれまでなかった。漢字制限を巡る専門的な解説書を読むのは、さすがにしんどい。
そこで、この『人名用漢字の戦後史』だ。戦後の漢字制限の歴史の中で、人名用漢字がいかにして生まれ、変容してきたかを常用平易な文章で説明してくれる。これは有難い。
もちろん、ミステリ読者だけでなく、文化としての漢字に興味のある人にもお薦めだ。*3

*1:作中の法月綸太郎の生年から考えれば、依然としておかしいままなのだが。

*2:このあたりの議論は佐野洋が『推理日記』で何度となくおこなっている。

*3:この言い方は転倒している。そもそもこの本は後者の読者を対象に書かれているのだから。