ネットで小説を書くということ

まえおき その1

「ネットで小説を書く」という言い回しはもちろん言葉の綾で、本当は「小説を書いてネットで公開する」ということだ。「小説を書く」という行為と「小説をネットで公開する」という行為とが一連のものであるということ*1を暗に含みとしている。
とはいえ、あまり「ネットで」の部分を強調しすぎるのはよくないかもしれない。まえおきの段階で突っ走りすぎないように辞世自制することにしたい。

まえおき その2

「自分でやってみもせずに他人のやることを批判するな」と言う人がいる。これは一般論としては成り立たない。殺人事件を裁く法廷に立つために、検察官や裁判官は人を殺してみないといけないということになったら大変だ。また、この主張自体が他人の行動に対する批判なので、ある意味では自己論駁的ですらある。*2
では、一般論としてではなくて、特定の領域の事柄についてならどうか? ここで考えているのは、もちろん「小説を書く」という行為だ。「自分で小説を書いてみもせずに他人の小説を批判するな」という主張は妥当だろうか?
さて、今わざと曖昧な書き方をしたのに気づかれただろうか。「他人の小説を批判する」という言い回しでは、次の2つの事柄が区別されないままになっている。

  1. 他人が書いた小説の内容について批判を行うということ
  2. 他人が小説を書くという活動に対して批判を行うということ

この区別は概念的なもので、実際には両者が混在していたり連動していたりすることのほうが多いくらいだ。でも、ある程度論理的に検討しようと思うなら、この区別くらいはいちおう念頭においておくべきだろう。
もっとも今はそんな話をしようと思っているのではない。

なかおき その1

先日、ふと思い立ってショートショートを4本書いた。4篇書いた、と言ってもいいかもしれない。でも、何となく「本」という単位を使いたい気分だ。
4本のうちの3本は既に公開しているので、読んだ人もいるかもしれない。

なんでこんなものを書いたかというと、ネットで小説を書いている人にあれこれと意見している自分が何も書いていないという状況にバランスの悪さを感じたからだ。言い訳のように「実作者ではないので純粋に読者の立場から言うんだけど……」とまえおきして感想を述べることに物足りなさをおぼえたから、と言ってもいいかもしれない。
プロ作家の小説についてあれこれ言うために自分も商業媒体で小説を書くというのは実際問題として不可能に近いが、ネットで小説を書くくらいならさほど手間はかからない。結果がどうであれ、一度くらいは試してみてもいいだろう。それで、ネットで小説を書く人々について理解が深まるなら結構なことだし、特に理解の深化がなくてもそれで失うものは何もない。まあ、そんなことを考えたわけだ。

なかおき その2

最初に書いたのは、『金魚の寝床』だった。これは、ある時、「叙情詩」という表記が戦後の漢字制限の産物であることを知ったときに思いついたものだ。「『抒情詩』と『叙情詩』では感情に訴える度合いが違うよなぁ」という、ただそれだけの思いつきで、別に小説の形で書くまでもなかったのだが、せっかくだからこれをオチにしてショートショートを書いてみようと思い立った。
ネタがネタだけに、当然昭和20年代に言及することになるが、その時代についての知識があまりあるわけでもないし、世相を書き込んで間延びしても困る。そこで、当時のことを知っている老人へのインタビューという形式を採用した。老人の名前が「千葉風太」となっているのは、たまたま手許に『すたんだっぷ風太くん!』があったからだ。
ついカッとなってやった。
名前はなんでもよかった。
いまは反省している。
詩人の名前の「佐藤義清」というのは西行法師の本名だ。大昔の人なのに字面だけみれば今の人と変わらない*3のが面白いので記憶に残っていた。
タイトルは鮎川哲也の名作『金魚の寝言』のもじりだ。タイトルと内容に全く関係がないという一点を除いては全く関係がない。
オチは弱いし、ストーリーに膨らみを持たせられるとも思えないので、せめて言葉遣いだけでもインパクトの強いものをしようと思っているうちに、悪ふざけがエスカレートしてあんな文章になってしまった。自分で書いておきながら読み返すのが苦痛だった*4ので、ほとんど推敲せずにアップした。それで、


このたび、関係者の一人である千葉風太氏のインタビューに、この幻の抒情詩『金魚の寝床』について語っていただいた。
という「てにをは」レベルでおかしな文章が人目に晒されることになってしまった。
たった今気がついた。
ああ、恥ずかしい。
もう生きてはいけない。

なかおき その3

つづく『びっくり箱』については特に何も語ることはない。なんで思いついたのかということすら忘れてしまった。

なかおき その4

で、『ぼくはポストに恋をする』だが、この小説の設定は以前白翁氏と話をしているときに思いついたものだ。いや、もしかしたら思いついたのは白翁氏だったかもしれない。従って、これは事実上白翁氏との合作だ。いや、むしろ白翁氏の作品だといっても過言ではない。
ご感想、ご意見、ご批判は、悲喜劇名詞|トップページのフォームにて。*5
「郵便ポストに恋をした変な奴の話」というだけではおはなしにならない。名手ならそれだけで読者を唸らせる小説が書けるかもしれないが、凡才非才の身にはもう一つアイディアが必要だった。その「もう一つ」のアイディアがひらめいたのは、某サイトの某日の日記で、郵便配達人が犯人の某有名ミステリに言及しているのを見かけたときだった。*6今から考えると、このアイディアは「もう一つ」だったような気もするが、ともあれこれで何とか形になった。
ところで、以前、同人小説を書く人へという文章を書いたことがある。すっかり忘れていたのだが、『金魚の寝床』を公開してから思い出した。あ、こりゃこりゃ。
そこで、書き上げたばかりの『ぼくはポストに恋をする』を石野休日氏に読んでもらい、忌憚のない意見を得た。
打ちのめされた。
もう生きていけない。

あとおき その1

いろいろあったが、結局大方の人々に黙殺されるという結果に終わった。ネット上での反応はBAD_TRIPの9/24付*7のみという有様だった。*8少なくとも60人以上の人がリンクを辿ってきているはずなのに……。
もちろん、メールで感想をくれた人もいない。それどころかスパムメールすら来なくなった。いまメールボックスを覗いてみたら、最後に届いたメールの送信日時は「2005年9月26日 2:03:45」だった。あれ、もしかしてメーラーか何かに障害があるの?
それはさておき、このたびの経験*9から貴重な教訓を得ることができた。以下、順不同で羅列してみよう。

  • 小説はフィクションだが、実話以上に自分をさらけ出すことになる。
  • 勢いをつけないと小説なんて書けないし、勢いを保ったうちでないと公開する気にならない。
  • 自分の書いた小説は読めない。
  • 他人から反応がないのは悲しい。
  • でも貶されるのは嫌だ。
  • だから、みんな褒めてほしい。

あとおき その2

また時間に余裕ができたら小説を書いてみようかと思う。

*1:つまり、何らかの事情で書いた小説をたまたまネットで公開したのではなくて、最初からネットで公開する意図を持って小説を書くということ。

*2:もっとも、論理的に矛盾するというほどではない。

*3:ただし「義清」は「のりきよ」と読むらしい。

*4:ここがポイント。

*5:本気にしないでね。

*6:もちろん、ここで某有名ミステリのタイトルを挙げることはできないし、某サイトがどこだったのかも言えない。

*7:例によって直リンクはしない。

*8:ほかにいたらごめん。

*9:「実験」とはあえて言うまい。