因果は廻る

6年続いた『スパイラル』もようやく15巻で完結した。最初のほうはわりとふつうの推理マンガだったが、方向転換してバトルものに転じ、さらに宗教がかった観念の境地へと到達してしまった。まるで、『とんち番長』だ。
あまり抹香臭いマンガは好きではないのでどうしようかと思ったのだが、まあこれでおしまいだし、最終巻だけ読まずじまいというのも区切りがつかないことだから、と思い、帰りの電車の中で読むつもりで買ったのだが……。……駅のホームで書店の袋を開けると、そこに入っていたのは、15巻ではなく、14巻だった。
むぅ。
新刊コーナーに既刊本を山積みするのが悪いんだ、と書店に責任転嫁をしてはみても、手もとにあるのが14巻だということに違いはない。申し出れば交換してくれるのかもしれないが、今からもう一度書店に戻るのも面倒だ。まあ、いい。復習のつもりでもう一度14巻を読んでみよう。
ところが。
いざ読み始めると、全然読んだ記憶がない。どうやら14巻も未読だったようだ。なんだ、それなら全然問題ないじゃないか。
車中で14巻を読み終え、さっきとは別の書店で今度こそちゃんと巻数を確かめて、15巻を買った。で、家に着いてから15巻の最後まで読み終えた。
う〜ん。
ずっと前に推理マンガであることをやめてしまっているので、そっち方面についてコメントするのは適切ではないだろう。では、対決ものとして読んだ場合はどうかといえば、これがまた結構微妙だ。まあ、何とも言い難い。
とりあえず、何とか着地はできたようだ。めでたしめでたし。
だが、あまりめでたいこともある。それは、ミカン箱の奥から数ヶ月前に買った『スパイラル』14巻が見つかったことだ。