数学を学ぶのは数が美しいからだ

容疑者Xの献身

容疑者Xの献身

たった今読了。
「今まで読んでなかったんかいっ!」とツッコミが入りそうだ。
いや、どうもベストセラーを読むのは気が進まないもので……。
本自体はずっと前に買ってあったのだが、うかうかしている間にどんどん人気が高まり、去年の年末あたりにはもうすっかり読む気をなくしてしまっていて、いつの間にか本の山に埋もれてしまっていた。
それが先日別件で発掘調査を行ったところ出てきたものだから、そろそろ年貢の納め時だろうと思って読んでみた。表紙カバーが指紋でべたべたになった。あ、初刷じゃないか。
今さら、「本格ミステリ」云々という論争に参加する気もないので、その辺はスルーして、たぶん誰も取り立てていない点を一つだけ。184ページに次のような記述がある。

草薙は頭を下げ、歩いてきた道を戻っていった。その後ろ姿を見ながら、石神は得体の知れない不安感に包まれていた。
それは、絶対に完璧だと信じていた数式が、予期せぬ未知数によって徐々に乱れていく時の感覚に似ていた。*1
これがどうもよくわからない。完璧な数式であれ完璧ではない数式であれ、およそ数式というものはすべて無時間的な存在者ではないのだろうか? 時間を超越したものが「徐々に乱れていく」ということがあるものだろうか?
むろん、応用数学の数式のなかには時間を扱っているものもある。だが、その場合でも、数式そのものが時間内存在者だということにはならないだろう。それとも、流れる時間の中で生成したり変化したり消滅したりする数式もあるのだろうか?
これが非常に気になった。
もちろん、この小説の評価とは何の関係もないことだけど。
ついでに小説と関係のないリンクを2件。

容疑者Xの献身』についてのもう少し真面目な感想文は、また日を改めて書くことにしようと思う。ただし、気が乗らなければそのまま放置するかもしれない。

追記

上では数式のことを「無時間的存在者」と書いたが、そもそも数式は存在するのかどうかという疑問が沸いてきた。もし数が存在するのだとすれば、数と数式の両方が並んで存在するというのがどうにもおかしな感じがする。では、数は存在せず、数式だけが存在するのか? 上の文章のポイントは「存在者」というところではなく「無時間的」のほうなので、別にどっちでも構わないといえば構わないのだが、気になるといえば気になる。
なお、「数式」という語を数学的記号表現の一種と解釈すれば、もちろんそれは無時間的な物事ではない。数式は書かれた瞬間に生成し、訂正を加えることによって変化し、抹消したり媒体ごと破壊されたりすれば消滅する。もしかすると、引用文で述べられているのはその意味での「数式」ではないか、と一瞬思ったのだが、それでも意味が通りにくいのではないか。
いくつかの感想文を読んでみたが、誰もこの問題に言及した人はいなかった。やはり、これはどうでもいい問題なのだろう。

*1:草薙は刑事で、石神は天才数学者(ただし生業は高校教師)だ。このシーンは石神の視点で描かれている。