同意は一言ですむが、不同意は一言ですまない

たとえば「電撃は富士見より売れている」という文を取り上げる。
これを肯定すると「電撃は富士見より売れている」となる。元の文と同じだ。
では、次にこの文を否定する場合を考えてみよう。単純に否定すれば「電撃は富士見より売れている、ということはない」となる。これはあまりこなれた言い方ではない。ふたとおりのケースを含んでいるためだ。そのことをもう少しはっきりと示そうと思えば「電撃は富士見より売れていないか、または電撃は富士見と同じだけ売れているか、どちらかだ」というような言い方になる。元の文よりかなり長くなる。
今のは単文のケースだ。次にもっと複雑な文を例に挙げる。「スニーカーも電撃も同じ角川系列なのだから、スニーカーのサイン会で電撃文庫にサインしてもらったっていいだろう」という例文を否定してみよう。これも単純に否定するなら「スニーカーも電撃も同じ角川系列なのだから、スニーカーのサイン会で電撃文庫にサインしてもらったっていいだろう、ということはない」となる。これをパラフレーズするなら「スニーカーは角川系列でないか、または電撃は角川系列でないか、またはスニーカーも電撃も角川系列でないか、またはスニーカーと電撃が角川系列であってもスニーカーのサイン会で電撃文庫にサインしてもらっていいことにはならないか、いずれかだ」となる。*1
さて、誰かが何かについて意見を述べたり主張したりするとき、通常単文一つのみを用いるということはあまりない。ということは、他人の意見や主張に対して不同意する場合の仕方は、今挙げた例よりももっとずっと多くなるはずだ。不同意は一言ではすまない、というのはこういう意味だ。
ただし、不同意の意思表示だけ行い、どう同意しないかについて黙っておくなら、もちろん一言ですむ。

*1:このパラフレーズは結構いい加減なので、すべての論理的可能性を尽くしているわけでもないし、論理的には不要な言葉も含まれているが、これは雰囲気を掴んでもらうための例なのでツッコミを入れないでほしい。