実はここにも総務省

鷹見一幸といえばスニーカー文庫電撃文庫という角川系二大レーベル*1で精力的に活動している作家だということは知っていたが、これまで一冊も読んだことがなかった。ラノベサイト界隈ではあまり話題にならない作家だということと、ミリタリー関係にあまり興味がないので作風が肌に合わないだろうと思って敬遠していたことが主な理由だ。
その鷹見一幸の本を手に取ったきっかけはごく些細なことだった。昨日、渡世の義理で休日を潰して某所に出かけた際、暇をもてあますことを予想して『えむえむっ! 6』と『推定少女』を持って行ったのだが、『えむえむっ! 6』は一瞬で読み終えてまったく暇を潰す役に立たず、続いて読んだ『推定少女*2も思っていたよりずっと早く読み終えてしまい、手持ちの未読本がゼロになるという大失態*3を演じてしまった。家に帰れば積ん読状態の本がわんさかあるのはわかっていても、当座を凌ぐ本がないというのは辛いので、立ち寄った書店で何か軽く読めそうな本*4を買おうと物色中に、ふとタイトルが目にとまったのだ。
『会長の切り札』
「切り札」には「ジョーカー」とルビが振られている。だが待て、切り札はジョーカーじゃなくてトランプだろう。おかしなタイトルだ*5。それはともかく、これはカードバトルの話なのだろうか? そこで本を手に取り、裏表紙を見ると、

楢山高校・生徒会長の朋絵は頭を悩ませていた。高校統廃合の新たな条例により、学校の存続が高校生同士の勝負によって決定されることになったのだ。

という、さらに気になる文章があった。
条例?
私立高校や国立高校は地方公共団体の条例とは無関係だから、たぶん楢山高校というのは公立高校なのだろう*6。公立高校は地方自治法第244条に基づく「公の施設」だから同法第244条の2の規定によりその設置及び管理に関する事項は条例で定めなければならない*7ということになっている。しかし、高校の廃合*8の方法まで条例で決める必要はないだろう。これはいったい、どういうことだろう? そこで、俄然『会長の切り札』に興味を抱いたわけだ。
で、実際に読んでみるとどうだったかというと……ええと、これ書いてしまっていいですか? もしかすると、未読の人の興を殺ぐかもしれないので、内容に触れるのは控えておいたほうがいいのかもしれないけれど……。
とりあえず、「続きを読む」記法を使っておくことにしよう。
さて、裏表紙の「条例」の正体は何だったか。その答えはあまりにもあっけないものだった。本文には、高校の廃合に関する条例は出てこないのだ。
しまった、たばかられたかっ!
裏表紙の紹介文を書いたのが誰かは知らないが、相当の策士とお見受けする。「条例」という意味深長な言葉で興味を惹き、本を買わせようというのだから、諸葛孔明も顔負けだ。
……と思ったのだが。
31ページから32ページにかけて、条例と関係なくもない記述*9がある。

住民投票に関する法律が変わったのをご存じありませんか? 国は地方自治体における代議員制度と並行して、住民投票による直接民主制を広範囲に導入したのです。方針決定は、住民投票によって行われることになります」
「ふざけるな! わしは認めんぞ! それは総意ではない! 多数決で決めれば、それは数の横暴を許すことになる!」
「そうだ! 推進協議会の規定には、高校の統廃合と、三町の合併については、総意、つまり満場一致の同意のみが有効であると決められているはずだ!」
藍山は艶然とした微笑を浮かべて答えた。
「ええ、そういう規定になっておりますわね。ですからこの住民投票の目的は、高校をどこに置くのか、どの高校を統合するのか、それを決定するためのものではありません。あくまでも、高校の統廃合を決定する方法を高校生に任せるか否か、という目的で行われるわけです。推進協議会の規定に触れる部分は何一つ無いと思われますが?」

いちおう補足説明すると、『会長の切り札』の舞台は地方都市で、町村合併と高校廃合という制度的には全く別の話が絡み合っていて、合併推進協議会と高校統廃合推進協議会の委員を兼ねている人が多い、という設定になっている。まあ、これは実際にもありそうな話だ。
で、今引用した箇所の最初と最後の台詞の主は、総務省に新設された地方庁合併推進課の課長で関東管区局に所属している*10キャリア官僚、藍山真由子(31歳)だ。もちろん現実の日本には総務省地方庁などという役所はない*11ので、『会長の切り札』の背景設定は現実世界とは微妙に異なる異世界または近未来だと考えられる。
現実世界で「住民投票に関する法律が変わった」のは2002年のことで、このとき市町村の合併の特例に関する法律*12住民投票制度が導入された*13。「住民投票に関する法律が変わった」という発言主が合併推進課長なので、この改正のことを指しているという解釈も成り立つかもしれないが、その後の発言と併せて読めば、むしろ現実の日本では未成立の住民投票による直接立法またはそれに準ずる制度*14が前提とされているようにも読める。
現実の日本では、近年、地方自治体の重要施策に関する住民投票が、住民投票条例に基づいて行われる例が増えてきている。『会長の切り札』では住民投票の法的根拠について特に何も書かれていないので不明だが、やはり条例に基づく投票なのだとすれば、「高校統廃合の新たな条例により、学校の存続が高校生同士の勝負によって決定されることになった」という裏表紙の紹介文も「孔明の策」とは言えないような気もしないわけではないかもしれないという印象もそこはかとなく漂っているような漂っていないような……。
それはともかく、『会長の切り札』には、今述べたような地方自治制度関係の話題のほか、民主主義における合意形成にかかる問題だとか、地方都市の地域振興だとか、一般行政と教育行政の軋轢だとか、ある種のマニアにとっては無限に妄想を掻き立てられるような素材がいくつもちりばめられている。作者がもともとこれらの分野に通暁していたのか、それともこの小説を執筆するために調べたのかは知らない*15が、荒唐無稽なメルヘンだからといって現実の重みを無視せず、かといって現実に縛られて窮屈な物語にもなっていないということに感心した。このような小説作法はライトノベルでは珍しいのではないかと思う*16。残念ながら、藍山真由子(31歳)の出番は少なく、その点で不満が残ったが、あとがきを読むと続刊の可能性があるようなので、次巻で活躍することを期待したい。

*1:と書いてしまうと富士見ファンタジア文庫の立場がないのだが、ほかにいい表現が見つからなかったので仕方がない。関係各位の御寛容を願いたい。あ、そういやファミ通文庫ってのもあったなぁ。

*2:本文とは関係のない余談だが、初刊本のファミ通文庫版『推定少女』を極楽トンボ氏の強い薦めにより読んだのは今から4年前のことだった。コミックとらのあな名古屋店ラノベコーナーから氏が選んだ一番のお薦め本が『推定少女』だった。本文を読み終えて、あとがきで初めて桜庭一樹が女性だと知って驚いたことを今でもよく覚えている。

*3:いつも外出時には本を何冊かかばんに入れて持ち歩いているので、読む本が全くなくなってしまうことは滅多にない。

*4:重い本だと読み終えるまでに時間がかかるため、積ん読の上にさらに積みを重ねることになるので。

*5:と、そのときは思ったのだが、ジョーカー - Wikipediaを見ると、「ジョーカー」が切り札の意味で用いられることもあるらしい。不勉強でした。

*6:本文を読むと37ページに「県立楢山高校」と書いてあった。

*7:たとえば兵庫県立西宮北高等学校兵庫県立高等学校の設置及び管理に関する条例を根拠に設置されている。

*8:「統廃合」という言葉はあまり好きではない。「廃」と「合」の2文字で言い尽くしているのに、なぜそこに余計な「統」を加えますか? 「廃」というマイナスイメージの漢字を「統」と「合」で挟んで埋没させたいだけとちゃうんか、と。

*9:引用文中の強調箇所は原文では傍点。

*10:地方庁合併推進課」と一続きに書いてあるので本庁内の組織かと思えば、関東管区局という地方出先機関にいるらしい。地方庁の組織はいったいどうなっているのだろう?

*11:ただし、合併推進課は総務省自治行政局に実在する。

*12:いわゆる「旧合併特例法」で、2005年に失効した。現行法は市町村の合併の特例等に関する法律で、題名に「等」が加わっている。

*13:総務省合併相談コーナー改正の概要【PDF】が掲載されている。

*14:少し古いが、地方分権時代の住民自治制度のあり方及び地方税財源の充実確保に関する答申住民投票の制度化が検討されている。

*15:公式サイト雑家屋鷹見商店を見てみたが、最近更新が止まっているようで、『会長の切り札』に関する記述はあまりなかった。

*16:と書いた途端に、もう一つよく似た作り方のラノベがあることを思い出した。『狼と香辛料』がまさにそのような作りになっている……というのはちょっと強引か? 『こちら郵政省特配課』あたりを挙げておけば無難だったかも。