涼宮ハルヒと阪神大震災
これを受けて平和氏は
兵庫県生まれで、阪神大震災で被災した経験を持つ。
「その時痛感したのは、人は他人の痛みに鈍感だということ。でも、僕だってそれまで他地域の災害は人ごとだった」。谷川さんの中でも何かが「変わった」のだろうか。
とコメントしているのだが、当のぎをらむ氏は、
震災についても言及しているので、もしかしたらぎをらむさんが書いていたことも的外れではないのかもしれないですな。
と一旦言ったのち、
TVアニメ版「涼宮ハルヒの憂鬱」の舞台設定には谷川流さんの意向が強く反映しているようですが、そのなかで谷川流さんは阪神淡路大震災前の風景を意識されているようですね。そう言われれば思い当たる節がいくつかあります。
と結論づけている。つまり、ハルヒと阪神大震災の関係は、専らアニメ版の風景のみであり、作品内容には影響はないという見解だ。
ただし、私は「涼宮ハルヒ」の作品内容が阪神淡路大震災の影響を受けているとは思いません。谷川流さん自身が学生だった頃の光景を再現したいのではないでしょうか。と言いつつ長門のマンションはかなり新しいですが。
その見解に対して、コメント欄で
という興味深いコメントがあった。
涼宮ハルヒと阪神淡路大震災についての邪推をとりとめもなくについては、以前軽く言及したことがあったのだが、その後、fuzzy2氏*1の「妄想」をもとにあれこれ考えていたところに「本よみうり堂」の記事が出たので、一気にそれが加速して、次のような仮説を思いついた。
ハルヒの舞台は、震災が遅延したパラレルワールドの2***年の西宮なのではないか、というのがその仮説だ。そう、ちょうどユーゴ紛争が2000年に発生するという設定の幻の『さよなら妖精』古典部ヴァージョン*2のように。
もし、この仮説が正しいとすれば大震災はこれから起こることになる。幻想とも怪奇とも無関係で、ただただ暴力的な力によって世界が崩壊するという出来事は、ある意味ではハルヒの幕切れにふさわしいのではないか。角川スニーカー文庫編集部がそれを許すかどうかはまた別の話だが。
ところで、谷川流が読んでいるかどうかは知らないが、『はいからさんが通る』のクライマックスの結婚式のシーンは圧巻だった。あれをハルヒでやってくれないかなぁ。
ちょっと妄想が暴走しすぎたか?